奥海清瀧の遊楽園→奥海清瀧日記

奥海清瀧日記

2024年11月28日(木)②

安定したアウトプットをしたい

人が活動しているのを見て、自分も安定したアウトプットがしたいなあと思いました。昨日も今日も中途半端にページを作って終わっています。頭が働いているのかというと、ゆっくりで上手く考えられていない状態です。小説をすぐに書ける人は頭の回転が速いひとだろうなとは思います。

毎回ページを中途半端に作っていたのでは、安定したアウトプットではありません。最初からどんなページを作ろうか決めていて、一日でページを完成させるというのが安定したアウトプットでしょう。平日は仕事があるので、プライベートでは自分の自由を優先させることになり、アウトプットはできないでしょう。安定させるには、絶対にできるアウトプットをする必要があります。全体を見ようとすると厳しいので、ある一部に限る必要があります。

頭の中でイメージできるかが作るうえで重要なことでしょう。何の考えも想像もなければ中途半端に終わることになります。自分の中で何が足りないのかというと、スピードです。行動するのも考えをまとめるのも遅いので、途中で面倒になってしまい中断することになります。そこまで厳密ではなく、もっと抽象的に考えるべきでしょう。

やはり、「時間を決めて最後までやる」ということをしたほうがいいでしょう。時間を決めてやるだけだと、途中で終わってそのまま放棄することになります。最後までやるだけだと時間がかかってしまい、途中で面倒になったり、時間がもったいないと思ったりしてやめることになります。安定したアウトプットをするためには、時間を決めて最後までやるというのが望ましいのです。

そうですね、試しに今から1時間でできることを決めて実行してみたいと思います。1ページを作ってみますか。10分くらい考えてみたら、ミニゲームが頭の中に浮かんできました。実際にどうやって実装するかは頭に浮かんでいません。ただ、できそうな処理なので作れそうです。それを1時間で完成させることを意識して素早くプログラムを組みますか。終わったら戻ってきて感想を書くかもしれません。

追記: 結果としてはこうなりました。ゲームとしては完成していません。イメージとしてはほぼできあがりです。一定間隔で右からボールが飛んでくるので、Zキー、Xキー、Cキーを押してジャンプして避けるゲームの構想です。ボールを右からランダムの位置で飛ばすアルゴリズムを考えていたら、当たり判定やUIを作る暇がなくなってしまいました。この構想はゲームと呼べるものでしょう。ゲームとしてのアルゴリズムを考えるというのがある程度時間がかかることがわかりました。これは実際にやってみないと上手くできるかわかりません。これをパッと思い付くようになれば、かつもっとスムーズにプログラムが組めれば時間を短縮できるでしょう。普段やっていないことなので時間がかかってしまうのです。慣れっていうのは大事なことですね。また、最初から素材がないと作れないということも、このゲームを考えるときに気が付きました。たとえば三角関数sin、cosの使い方や、ランダムの使い方、描画処理などを事前に知っていないと時間以内に作れません。それらを組んでゲームを作ることになります。時間を決めて何かをやるということは、準備が欠かせないということですね。


2024年11月28日(木)①

それは楽しいのか

さて、先程までDirect2Dの使い方のページを作ろうとして、公式のページを見ていました。Direct2Dはどのようなものか、どんな使い方をするかなどです。情報量は結構多いです。C++を使えるのを前提にして多くのAPIを扱うので、まとめるのが大変そうだと思いました。Direct2Dの使い方の前に、ウィンドウの表示方法のページを作っています。細かい説明があると、読むのが面倒になってしまうので、実際にコードを打ち込んで楽しめるのが丁度良いでしょう。

はたして、C++を使ってDirect2Dでアプリの作り方を学習するというのは楽しいことでしょうか。一般的には、C++自体が難しいと思う人がいるでしょう。アプリの作り方で断念する人もいそうです。難しいというか、あまり感覚的に扱えないので、「面倒だ」という面が多いでしょう。それならば、明らかにPythonやJavaScriptをやったほうが楽しいはずです。一般的な人もそうでしょう。C++でのアプリ開発は細かいところが多くて面倒なのです。一々考えなくてはならないので、大変なものです。

というか、誰でも気軽に使えるものといったら、PythonかJavaScriptに落ち着きます。自分は良くても、他の人にとって望ましくないことになってしまうでしょう。楽しむには「直感的に扱えること」が望ましいでしょう。ゲームも楽しいし、文章を書くのは楽なことです。人に対していろいろと考えるのは自分にとって面倒です。理屈で接するのが一番です。

もし自分がC++のみを扱う場合、「プログラミングは面倒だ、だからやらない」という結論になり、プログラミングから離れるかもしれません。ということは、C++はちょこっと時間を決めて扱うというのが良さそうです。他のスクリプト言語のほうをメインでやって、プログラミングを楽しんでいきましょう。たしかに、さっきまでずっと文章とにらめっこをしてて疲れてしまいました。C++以外ではそんなことはありません。APIの使い方が難しいということはなかなかないことでしょう。ということで、少し休憩してから別の言語で遊びたいと思います。


2024年11月27日(水)

思考を安定させるために

自然に物事を考えようとしても、なかなかできないことがあります。無秩序になって何を考えればいいのかがわからなくなってしまうのです。複数のことを一日にやろうとしても、体と脳が追い付いてきません。何かしら限定して考えたり、やったりするのが自分にとって望ましいでしょう。

何をやるのか、考えるのかを考えたとき、いろいろとやりたいことが多すぎてすべてを考えることができません。表面上は良いのですが、いざ中身をといった場合に、体がついていけなくなってしまいます。そのために、思考を縛る必要があるのです。ゲームに関しても、やったらめったらゲームを探してやっても、それだけですべての時間が消費されます。それは誰も望んでいないことでしょう。何かしら生産的なことをしたほうが世のため人のためです。しかし、自分はこの世の仕組みも知らないと、もやもやしてしまう人間です。そして、相変わらずプログラミングのことが頭にあります。

そこで、やること、考えることを限定しました。「プログラミング」は変わりません。それに加え、「自然科学と科学技術を知ること」、ゲームでは「ゼルダの伝説、バイオハザード」を主にやっていこうと思いました。マリオも足したら厄介なことになりそうなので、絞るとしたらゼルダとバイオになりました。前者がSwitchで後者がps5になります。冒険して楽しむのと美麗ホラーアクションシューティングを楽しむものです。プログラミングは、Webプログラミングが一番優先で、スタンドアローンアプリ開発が二番目となります。結局、自然とあちこちに思考を飛ばしても、自分が何をするのか、何を考えるのかは自分で考えなければなりません。自然ではなく、自分に支配される形になります。

考えてみると、プログラミング言語の仕様の中には使わなそうなものがあったり、APIを全部記憶できるわけではありません。その場で使いたいと思ったものを学習することになるでしょう。基本的には、「描画」「イベント」「ループ」「データの保存と読み込み」をやっていくことになるでしょう。いろんなプログラミングのやり方を紹介していくのが望ましそうです。時にはプログラミングで遊んだりするでしょう。何事も[基本→応用]の流れでやることが大事です。使える素材が多ければ、それだけ楽しめるようになります。自然科学と科学技術は、まとめると「どうできているのか」に還元されます。身の回りの人工物はすべて科学技術の結晶です。その根幹にあるものが自然科学です。これについてはかなり多彩なものになるでしょう。これは一生かけてやっていくものかもしれません。

作る(プログラミング)、知る(自然科学と科学技術)、遊ぶ(ゲーム)をやれば、心が豊かになるでしょう。世の中新しいものが増えていくので、完全に安定はしないようにできています。それが「生物」の生き方でしょう。安定するならば、それは石や土と同じ無機物になってしまいます。あくまで自分は「安定寄り」を目指したいところです。


2024年11月24日(日)②

自分のサイトについて→疑問を解決すること

自分には人と共有するという意思が全くない。今も自分のことしか考えていない。しかし、世のため人のためとなるには人に対して何かしらアウトプットしなければならないだろう。それで見返りがなければ別にアウトプットしようと思わない。これが自分がサイトの更新を躊躇っている理由である。もしPHPを利用していて、反響が反映されるならばまあまあアウトプットしようと思うだろう。

数を増やすには、人の役に立つと思ってアウトプットするしかないのである。はたして、自分が自分のサイト『奥海清瀧の遊楽園』を発展させる意味はあるのだろうか。多くの人が支援するのなら意味はあると思う。こちらに何のメリットもなければ腰が重くなるのは必至だろう。生配信をしてもコメントがこないからやめるのと同義である。この場合、コメントと視聴者、登録者が増えるのに意味がある。そうすれば自分が成長しているように感じられるだろう。もしかしたら、このサイトも登録者的なものがあったほうが面白いのかもしれない。コメントがあっても、自分は人と付き合うのが苦手なので、緊張して返せないかもしれない。

今頭の中に思い浮かんだのは、「いいね」である。YouTubeでは「高く評価」になる。登録者制にして、その人が『いいね』を押すと反映される仕組みだ。それでどんな記事が人気かがわかるので面白いだろう。コメントは自分にとって面倒なのでやめておく。あとは何があると自分が面白くなるだろうか。双方が楽しめるとしたら、「ゲームコンテンツ」になるだろうか。ランキングを作り、人と競えるようにすることである。この場合も登録した人だけがランキングに投稿することになる。もし登録者制でなければランキングが同じ人で埋まってしまうからである。ゲームと記事それぞれに登録するのは面倒だと思われるので、どちらも「奥海清瀧の遊楽園会員」として登録させたほうが無難だろう。自分が楽しむためには双方のやりとりが欠かせないので、やはりPHP、サーバーサイドプログラムを書く必要があるということである。

自分は人に対して何を望んでいるだろうか。人と話すことはこれっぽっちも望んでいない。やはり、基本的には『楽しんでもらいたい』と思っているようだ。自分が楽を望んでいるので、人にも楽になってもらいたいとはたしかに思う。太い本一冊読むのは楽しいというよりも、技術書になると「苦」の部分が多い。これを見事に短縮できると「楽」へと変わるのである。楽というのは、『複雑なものを単純化すること』だろうか。その複雑から単純への波が『楽』という感情を生むのだろう。楽にするには、何に対して苦しんでいるかを知る必要がある。それを解決することで楽にさせるのである。あなたは今、何に苦しんでいますか?病気に苦しんでいるのなら自分にとって結構困ることである。その困ることを解決するのが医者という職業である。自分が解決する必要はない。普通に考えれば、誰にも解決できないことを解決するのが最も意味のあること、楽なことだと思われる。テレポートできるようにしたり、系外惑星の生物を発見したりとかである。それは一般人には不可能な研究分野となるだろう。

おそらく、人の苦しんでいることを解決できれば、何でも楽になるのだろう。苦しんでいる状態というのは大抵複雑なものである。その人が解決できないのだから、それは難しい問題なのだろう。自分という人間は『問題を解決できる人』になるのが望ましい。多くの問題を解決できるならば『優秀な人』『偉大な人』となるだろう。たしかに、実際にいろいろな問題に答えを出せる人というのは偉大な人物である。

よく考えてみれば、世の中複雑なことが多いのである。人は流動するし、多くの物質や人工物が存在している。それらをまとめることができれば大したものだ。解決する方法はいろいろ場合がある。それを一つに絞るか、複数そのまま提案するかで複雑さは変わるだろう。前者が単純、後者が複雑である。つまり、自分は人が疑問に思っていることを解決していくというのが望ましいということだ。それは単純な解決にも、複雑な解決にもできる。複雑というのは多くの要素が絡んでいることである。その一つ一つの要素は単純なものだろう。『単純なものから複雑なものが作られる』のである。こう考えると、世の中多彩だと感じる。たとえば、一つの平べったい物質があるとする。それは『紙』であったり、『金属』であったり、『プラスチック(高分子)』だったりするだろう。金属の中でも、いろいろと元素を混ぜることでいろいろな性質を生み出す。一枚の物質でもそれだけ複雑化できるということである。さて、「人の疑問」を解決していこうか。


2024年11月24日(日)

真似しかできない

何かオリジナルのものが作れないかと考えているのですが、全く思い付きません。既にあるものしか頭の中に浮かばないのです。図形を描き、動かし、衝突させたり、ジャンプさせたり、放射状に弾を飛ばしたり、既知のものしか頭に浮かびません。音楽も真似て歌うくらいしかできません。モデリングも真似して作ることしかできません。オリジナルは何一つ作れていないことに気が付きました。

自分は、本に書いてあったことや、Webサイトに書いてあることの真似しかできません。それでオリジナルを作れと言われても何も頭に思い浮かびません。自分は単なる機械なのでしょうか。機械よりも単純で、入ったことをそのままアウトプットしているだけです。頭の中で改変されず、そのまま蓄積していくことになるでしょう。

となると、オリジナルのものを作るのではなく、知識でやっていくことになります。となると、新しいものをいろいろと取り入れて次々アウトプットしていったほうが効率が良いでしょう。新しいものを作ると考えていると、どうもアウトプットの効率が最悪になります。自分は知識量で勝負することになります。

どうして人はオリジナルの物語を考えられたり、新しいゲームを作れたりするのでしょうか。それは今も謎です。自分は数十年生きてきて思い付いたことはありません。おそらく、学生の頃からそのような素養がないと思い付かないのでしょう。自分の頭は固く、そのままでしかアウトプットできないものなのでしょう。なぜ自分は文章が書けるのか不思議です。これはおそらく、現実に沿っているからでしょう。オリジナルではなく、もはや物理的に生きるしかありませんね。まあ、人によってはまとめてくれるだけでありがたいと思う人もいるでしょう。そのまま受け入れて自分のものにするといったことをやっていきましょう。


2024年11月23日(土)②

プログラミングで遊ぶとは

自分はやることに『プログラミングで遊ぶ』とあるのですが、これは具体的に何をしたらいいのでしょうか。遊ぶといったらゲームなのですが、それだと些か大変です。もっと簡単にプログラムで遊びたいところです。

たとえば、図形を描画して動かすだけなら簡単にできます。UIのみを作るのも簡単でしょう。いろいろと動かしたりするのは大変な作業になってきます。

今思ったのですが、もっと小分けにしてやることで楽しいプログラミングができるのではないでしょうか。

風呂に入ってきて、『短い時間で楽しめるプログラミングとは何か』を考えていました。思い付いたのが、「ある処理を作る」ということです。ゲームになると長いプログラムを書かなければならないのですが、ある一つの処理だと短い時間で短いプログラムで楽しめます。具体的に思い付いたのは、「ボタンを押して色を変えよう」というのと、「ある模様を作ろう」といったものです。キャラをマス目で動かそうというのもちょっと長いプログラムですが作れそうです。ということで、これからプログラミングで遊ぶというときは、「ある処理を作る」というのを目的としたいと思います。そして、その作り方を自分のページに書いていけば、『自分も他者も楽しめる』という構図が完成します。

ゲームを作るとまではいかなくても、プログラミングで遊びたいと思うときはあります。そんなとき、あの処理はどうやって作るのかと実践することで楽しむことができるでしょう。今までは[プログラミングで遊ぶ=ゲームを作ることだ]と考えてしまっていて面倒でなかなか手を付けられなかったのですが、ある処理を作って楽しむというだけなら短い時間で簡単にプログラミングを楽しむことができます。これを思い付いたのが夜の9時半なので、あとはゆったりして寝るだけになります。明日から実践していきましょう。それでは。


2024年11月23日(土)①

シンプルに考える

本を読むということは本を読んで楽しむということです。アプリを作るというのはアプリを作ることです。音楽は音を楽しむことです。文章は文章です。当たり前ですが、それらは非常に大事なことです。当たり前すぎて人によっては見過ごしているかもしれません。たとえば、ゲームを作ろうとして学ぶこと、実際に作ることは違います。単に学んでもオリジナルは作れません。作るために学習するというのは別の話であり、それを一緒にしてしまっては難しくなってしまいます。文章を書くために文章を読んで学ぶと、それだけ時間がかかり、逆に難しくなるものです。なので、日記を書くときには文章を読んで書き方を学ぶよりも、実際に書いたほうが早いのです。

プログラミングするために学習するというのは、毎回学習しているとプログラムが実際に書けなくなります。自分のやりたいことを見つけ、それに向けて検索しながら実際に作ると、そちらのほうが生産的になるでしょう。自分というのは忘れやすい人間なので、もっとシンプルに見る必要がありません。毎回『学習しないと』と思っているうちは成長しません。実際に作るものが頭にあり、それに向けて検索するのが最も早く作る方法なのです。

この文章、日記でも、いろいろなことについて考えようとすると難しくなります。もっとシンプルに考えるのが望ましいです。タイトルにある通り、「シンプルに考える」ということに対して統一した文章にすると書きやすいでしょう。

そう、言うなれば、男は『かっこよさ』を目指し、女性は『かわいさ』を目指すようなものです。シンプルだけど奥の深いことでしょう。ここで、男、女性と書いたのに違和感を覚えたかもしれません。自分は男なので男は男と呼び、女はそのままではいやらしい感じになってしまうので、品位を示し『女性』と書いているのです。これは自分の中の感覚的なものであり、別に深い意味があったわけではありません。単なる後付けです。

「シンプルに考える」ということをある程度まで書いたら切り上げです。自分はもともとどれくらいの文章を書くか決めているので、このシンプルさでやっていきたいのです。最初から決まっていれば日記も書きやすく、気持ちよく仕上げることができるでしょう。自分の日記は「書きたいときに書く」がモットーです。結局平日、仕事に行くときは時間がないので更新しないでしょう。優先順位的には3番目くらいとなっています。シンプルに考えることで、悩みのない楽な人生を送っていきましょう。


2024年11月22日(金)

世界観

世界観というと何が思い付くでしょうか。真っ先に思い付くのはストーリーとしての世界観でしょう。ゲームとしての世界観も同じ路線です。ここでの世界観というのは、『人としての世界観』を示します。

何が好きかというのは一生において変わることもありますが、その人の性格というのはそこまで変わりません。といっても、自分の場合は学生の頃からゲームが好きだったので、それは今も変わらないものです。20代半ばからプログラミングが好きになり、しかしそれは今したいかと言われるとそうでもありません。しかし、ゲームのほうはいつでもやりたいと思っています。やはり、学生の頃好きだったものは今でも変わらず、その後で好きになったものは途中で冷めてしまうこともあるということです。もし自分が学生の頃からプログラミングが好きならば、今後も一生好きなままだったでしょう。

世界観の話に戻りましょう。人というのはその人独自の路線があったほうが面白いものです。あるものを収集していたり、あるものを作っていたり、あるものをずっと研究していたり、あるものがずっと好きだったと、その人の決まり事があれば、その人は安定していて、今後もそれ関連の情報を仕入れてアウトプットしていくでしょう。安定する人物というのは、決まった世界観を持つ人です。なので、自分も安定した世界観を持ちたいと思っているのです。

同じものを何十年も研究できる人がいるかと思われますが、どうしてそんなに続けられるのでしょうか。もし自分がゲームを作る仕事をしていたとしても、間違いなく飽きることになり、仕事を辞めます。それで自分は今も安定していないのです。どうも同じことを考えるのが自分にとって苦痛に感じてしまう節があります。厄介ですね。自分はこの世と離れたがっているようにしか思えません。現実よりもゲームのほうが楽しく感じてしまうのです。まあ、同じような人は多いかと思われますが。どうして同じ仕事を続けられるのでしょうか。自分にはきついことです。考えてみれば、『自分が他の人と違うことをする』ということで世の中の多様性が支えられているとも解釈できます。安定の人もいれば多様性を目指す人もいるということでしょう。

しかしながら、自分なりの世界観は手に入れたいところです。よくVTuverとして転生している人がいますが、それみたいにキャラを作ったほうがわかりやすくなるのではないでしょうか。おそらく、自分にとってプログラミングを続けるのはきついものがあります。自分が飽きるからです。やはり、学生の頃から好きなゲームで攻めていくのが一番でしょう。

今別のことをしてきたので、段落を変えて書きます。考えた結論としては、「アクションゲームをやっていく」ことに決定です。スマブラやスプラトゥーンのような対戦やオンラインではなく、一人で遊べるゲームに限ります。思えば、プログラムで円を動かすだけでも楽しいものです。アクションゲームで遊んだり、アクションゲームを作ったりといった感じで生きていくのがわかりやすい生き方になるでしょう。リアルタイムで動くものを作るのです。動きを考えて動かしていくのが単純で良さそうです。「動くものを作る」をモットーにやっていきたいですね。


2024年11月18日(月)

思考が安定しない

毎回といっては毎回なのですが、思考が安定しません。何を考えていいのかわからないという状況です。これでは日常生活に支障が出るでしょう。なぜこんなに脳が安定しないのかは、おそらくある一つのものに固執できないからでしょう。ゲーム、ゲーム作り、電子工作、機械工作、自然科学、ストーリー、どれもかけ離れたものです。自分にいろいろしたいという意思がある限り思考は安定しないのでしょうか。

どうやったらちゃんと思考できるようになるかを考えてみましょう。

今考えてみたら、~とは何かを考えていないということが大きいです。電子工作、機械工作、プログラミング、3Dモデリング、どれもフワッとしか考えられていません。これではたしかに思考も何も思い浮かびません。まずは、これらについて自分の中で抽象的に解釈するところから始めるのが良いでしょう。なので、仕事中、休憩中に考えてスマホに書いていくことにしましょう。そうすれば思考はある程度まとめられそうです。脳とは何か、生物とは何か、車とは何か、宇宙とは、ゲームとは、プログラミングとは、機械とは、それらについて今一度考えてみましょう。

安定した自分を目指して精進します。


2024年11月17日(日)

ひきこもり→動かして楽しむ

今日の昼頃に何をしたらいいのか、何をしたら楽しいのか、何を考えたらいいのかがわからんくなり、頭がおかしくなっていました。夕方前に外に出て歩いたら回復して頭がいくらか回るようになりました。

家の中で考えていても、どうしても思考が狭くなり、同じ事を考えては無限ループして何も実行できなくなってしまいます。外の世界を見ることで、現実のすべてが自然と頭の中に入ってきて、『自分のすべきことは何か』が自然と頭に浮かんでくるのです。もし家の中にいたままだと、そのまま首を吊っていることでしょう。

自分のすべきことは再認識なのですが、『作ること』です。それは、自分や他者が楽しめるものです。そうすることで、自分が社会としての立ち位置を安定させることができるのです。今の自分は間違いなくはみ出し者です。社会の一部となれるよう、自分が楽に生きられるように何かしら作っていくべきでしょう。自分が作らなくても、作り方を知り、それを人に教えれば、その人が興味を持ち世の中が豊かになっていくこともあるでしょう。モノの作られ方を知る、モノの作り方を知る、それらを人に教えることで、自分が安定して生きられるのです。

平日は時間がなくてゲームだけで終わってしまいます。帰ってから遊ぶことはストレス発散に良いことです。グラフィックが綺麗で、自分で自由にキャラを操作できるので、ゲームは自分にはなくてはならないものなのです。工場で働いているとだけ言えば、人に認めてもらえるでしょう。ずっとニートだと、働けやと思われて認めない人もいます。つまりは、人は平等を求めているのです。あの人だけずるいというのは許されないのです。なので、平日は帰ってから少しゲームで遊ぶくらいは許してもらいましょうか。このように書くと、大体の人は認めることでしょう。これが、社会としての立ち位置を安定させることに繋がります。

ただ、一人で仕事がしたいからといって、休日に丸一日遊んでいるようでは示しがつきません。休日も人に認めてもらえるような何かをする必要があるのです。自分は喋りが下手で人と付き合えない人間なので、一人で何かしらすることになります。その場合、できることは、本で読んだ内容をアウトプットする、自分で調べた内容をまとめるくらいしかできません。人が楽しめるようにする、人の役に立つことをするというのが大事なのです。作り方を知っていて、それを他者も作ることができれば、楽しみが広がるのではないでしょうか。それが自分の選んだ道です。地球の作られ方を知って何になるのかを聞かれると正直微妙です。それで人が行動できる、作れるわけではありません。やはり、何かしら体を動かすのが一番です。本を読んでいても眠くなるだけでしょう。ゲームもコントローラーやキーボードを使って手を動かしています。『動かして楽しむ』をモットーに作っていきたいところです。


2024年11月12日(火)

自然に生きる

日記を書くときは自分が考えたいからです。決して毎日書かなければならないということはありません。仕事でお金を貰っているなら書かなければならないのですが、義務ではないのです。書かなければならないと思うことは不自然であると見なされるでしょう。

あなたが今この文章を読んでいるのは自然な行為です。その人の中では半ば強制的であるかもしれませんが、傍からみると自然なことに見えます。今の仕事で働いているのも自然で、仕事をするのも自然な行為です。もし休みばかりだったら解雇される、ただそれだけの話です。

今は超自然体です。なぜかというと、外を歩いて自然に触れてきたからです。これからも、自分は人と自然に接するでしょう。自ら話しかけるという異常に緊張することは自分からはしない、ただそれだけのことです。他の人は人と話すのにそんなに緊張しないので話しかけられるのです。話しかけてくるのも自然な行為です。家があるのも、もし自分の家がなかったら段ボールなどで自然と作るでしょう。なので、家があるのも自然です。あれがあると便利だな、と思うものを作るのは自然な行為です。考えれば、何もかも自然なのです。自分の中だけで悩んでいる、考えているのは、結局同じ場所をループするので、自分だけで悩まず、自然に頼ればいいのです。すると、自然と楽なほうへと進むでしょう。サイトを更新しなければならないと思うのは不自然です。YouTubeへ動画を投稿しなければならないというのも不自然でしょう。ただ自分がやりたいことをやる、それが自然です。人に迷惑をかけると、自分にも帰ってくるのでしないだけです。人に迷惑をかけないという行動さえ自然な行為なのです。積極的に人に迷惑をかけるということはないでしょう。

やはり、文章の終わりは結、未来へと繋げるやり方で終わらせるのが自然で気持ちのいいものです。「~しなければならない」「何かわからないが不安だ」というのは不自然です。そんなときは、自分のしたいことをしたり、気持ちを落ち着けるのが一番です。でも、自然を意識するというのはどういうことなのかわかりませんね。結局環境により左右されるので、今の環境でどんな行動をするかを選ばなければなりません。その際、選択肢が多いと自分の好きなことを選べるようになるでしょう。選択肢は多く持つということが自然に生きる上で大切だということですね。生きるのが辛いという人は、自分の中に物事を溜め込む不生き辛くです。もっと環境に左右されてもいいのではないでしょうか。自我が強いとたしかに生き辛くなりそうですね。自分のしたいことを広げるのが一番です。


2024年11月11日(月)

交互にやっても安定しない

今日はページ作成とゲームを交互にやっていました。自分が遊ぶのと人に対してアウトプットするのを交互にやっていたのですが、それではいまいち思考が安定しませんでした。どうやら読書も必要そうです。頭が回らなくなってきたら考え事をしたり本に書いてあるものを真似してやってみたりするのが一番のようです。頭が回らない状態でゲームをしてもなぜか楽しくならないのです。朝と昼にゲームをしたのですが、夕方にゲームをしても頭が回らずに楽しくありませんでした。アウトプットするというのはインプットをあまりしないので、それでだんだん脳みそがゆっくりになってきてしまうのでしょう。その状態でゲームをしても楽しくなくなってしまうのです。なかなか深いですね。

そうそう、このように自分の考えたいことを日記にして書くというのが自分のためにもなり、日記の内容にもなりちょうどいいのです。やはり今日の天気やどこどこに行ってきたという情報よりも、自分の考えたいことを考えるのが一番安定しています。

何をしたらアウトプットしやすいのか考えた場合、人に見てもらうことを前提にしたほうが何かと効率が良くなります。ここで書くのは、新しいことや新しい知見、他の人があまり考えないことを書いたほうが人のためになるでしょう。思えば、自分という個性的な人間のことに書いていくのも新しいものとしては悪くないでしょう。プリンがどう作られているかよりもまだ気になる内容にはなるはずです。

頭が働かないときは、一歩引いて考えてみるのが一番です。自分は何をしたいか、世の中はどうなっているか、自分は過去に何をしてきたか、どんなものが存在するか、自分に関連するものは何か、人にとって何が良いか、どんな未来が待っているのか、考えることは山ほど存在します。中でも、自分はどうするかというのが非常に重要な問題です。自分にとって良いもの、人にとって良いものはまた別になってくるからです。人にとって良いことをするほうが社会がより良くなります。そこで自分を犠牲にすると自分が疲れてしまうでしょう。間違いなく、自分にとって良いこと、人にとって良いこと、そのどちらも重要なことになってきます。そして、自分は今日交互に行ってきたのです。アウトプットしていれば頭が働くかというと、だんだん疲れてスピードダウンすることがわかりました。やはりインプットや真似事というのは思考を正常に稼働させるのに必要なことです。

今完全に思考に没入していました。日記を書くというより、考えるということに没頭した結果です。人にとって良いものというのは、自分にとって良いものよりも圧倒的に広い範囲を扱えるでしょう。なので、人のことを考えることで思考をより豊かにできるのです。今久しぶりにそれらしいことを書きました。人に見せることを考えると、考えることが多くなります。なので、自分のしたいことを考えるよりも頭を回すことができ、自分にとっても良いものになります。頭が回らない人は、人にとって何が必要かを考えてみてはいかがだろうか。


2024年11月10日(日)

何も考えられない→ゆっくりと考える

自分の思ったことをそのまま書きます。しかし、何も思い付きません。3年くらい前はもっと考えられたかと思いますが、その頃に比べると思考能力が落ちています。前は、たしか音楽を作ったり、サイトをいろいろと更新したりしていました。最近はやる気がなく、ゲームをしたり配信ばかり見ています。これは、自分が物事をきちんと考えられなくなっているからです。楽になろうとして堕落しているのかもしれません。死ぬ時期は今が一番良い頃でしょう。逆に、この時期を乗り越えれば、そのまま老人までいきそうです。

たしか、前は日記に自然科学関係のことを書いていました。脳がどうとか、物理や宇宙、生物の話も長々と書いていました。その頃はまだ意識がハッキリしていました。いつから頭が働かなくなったのでしょうか。やはり、年を取ったからでしょう。年を取ると思考力がだんだんと落ちていき、仕事もできなくなってきます。その衰えがきているのでしょう。今は未来に対してすごいことは考えられなくなってきました。前まではもっと前向きだったはずです。これが衰えというものでしょう。そろそろ諦める時期に来ました。

なぜ前は自然科学関係のことを日記に書けたのでしょうか。今は頭が働かないので理解ができません。今本を読んでも、右から左に話が抜けていき、頭に入りません。このまま何もできなくなって死を待つだけなのでしょうか。おそらく、他者からしたらそんなことはどうでもいい、死ぬなら早く死ねと思うことでしょう。よって、この思考に意味はありません。意味のあることは、続けて考えられるかでしょう。自分の文章で括弧や太字を使っているようじゃまだまだ浅いです。もっと冷静に自分を作っていきたいです。というより、この文章自体が身も蓋もない話ですね。

自分はもっと考えるべきでしょう。文章にするというのは何かしら残したいことがあるときです。プログラミングというのは、自由度を高めるのに必要だからやるのです。意味のある日記とは何なのでしょうか。今はあることに対して深く考えようとしても考えられません。意味のあることは、人の扱えるものを増やすことでしょう。同じものばかり扱っていても飽きられるだけです。日々新しいことを追求するのが望ましいでしょう。

今思ったのですが、本当に自分は文章にしないと考えることができないのでしょうか。自分は何かわからないけど日々急いています。それでいつも頭が混乱しています。もしかしたら、頭が速く動きすぎて自分で思考を追えていないかもしれません。ようは、記憶力がないということかもしれません。たしかに、自分は固有名詞を覚えることより、数学のほうが良い点数を取れていました。今は文章にしてゆっくりと考えているので考えることができています。もっとゆっくりまったりと思考すれば急くことはなく、安定した思考ができるのではないでしょうか。それを試してみることにしましょう。


2024年11月9日(土)

自分を第一に考える

自分が何をしたらいいのか、何を考えたらいいのかわかりません。環境、周囲のことを考えても、自分が何をしたらいいのかわからないので何もできなくなってしまいます。これではいけません。自分を第一に考えることで、何をしたらいいのかがわかるでしょう。

自分が生きていなければこの世界は存在しないことと同じです。自分を第一に考えれば、人に対して優しくできるでしょう。なぜなら、人に対して自分を良く見せることで、自分にとってプラスに働くからです。もしベッタリな場合は、多少突き放してもいいかもしれせん。

今は夜勤明けで、頭がはっきりしないのですが、ご飯を食べたすぐ後に眠くならないうちに日記を書いています。日記を書いて、考える自分を作ることで、日々安定した日常を送れると思っているからです。

これからすることは、ゲーム、プログラミング、読書です。読書を自然科学と書くと、自然科学のことしか考えられなくなるので、もっと広い範囲の本を読んで語学を堪能して、想像力を強化していこうと思います。

そうそう、本を読むことは想像力の強化に繋がるのです。言葉や文字というのは時間と空間を越えて伝わるものです。なので、言葉を聞いたり文字を見たりすることで、時間と空間を越えることができるのです。これがゲームになるとグラフィックになるので想像の効率が悪くなって、想像できなくなってしまうのです。これが思考力の低下に繋がります。なので、毎日本を読んで想像力を強化するということをやっていきたいのです。今は文章を書く力をつけています。イラスト・モデリング、音楽、ゲーム、文章や言葉、どれも人が楽しむのに必要なことなのです。


2024年11月8日(金)

人が楽しいと感じられるものを作る

いつものように頭が回りません。ゲームだけしていれば楽なのですが、それだけでは社会を生きていけません。どちらかというとゲームを作る側にならなければ生きていけないでしょう。今もものづくり関連のことをして生きています。作ったものが人に売れるからです。受動的なばかりでは社会に左右されてしまいます。やはり、何かしら作って売るのが一番でしょう。特に自分は人と話せない人間なので。

おそらく、今までの考えではだめです。自分が楽しもうと思っても社会には何の影響も与えられません。それは受動的に楽しんでいるだけだからです。実際には何もアウトプットできていません。『人が楽しめるものを作る』という考えだと、売れるものも作れるかもしれません。というより、自分だけが楽しむより、複数の人を楽しませたほうが人類にとって効率の良いことです。なので、『どうしたら人を楽しませられるのか』を考えたほうが自分にとって得でしょう。

このような考えも、自分は文章に書かないと思い付きません。というか、普段頭の中で物事を繋げて考えられていません。これが自分の頭が上手く機能しない原因になっているのでしょう。『何があったら人が楽しいか』を考え、それを作っていくのが最善でしょう。自分がどうしたら楽しめるのかを考えるのは効率の悪いことだと頭に入れておきましょう。何があったら楽しいのかというのは、自分も楽しいと感じることになるので、自分にとって他者にとってもプラスになるものになるでしょう。

どうやら、自分は普通の日記ではなく、つっこんで考えることで頭が回り文章が書けるようです。「人が楽しいと感じられるもの」を作り、日々楽しく生きていきたいですね。


2024年11月7日(木)

×シンプルに→○深くつっこむ

『毎日日記を書く』というのは難しいことです。日記を書かなければならないという強迫観念は無駄なものです。日記を書くというより、『その日の出来事を書く』としたほうが非常にわかりやすいものになるでしょう。日記を書かなければならないという思考も無駄なもので、ただ書かなかったというそれだけの事実です。何も悪いことではありません。それを考えてしまうと答えが見つからなくなるでしょう。シンプルに日記を書くということだけを考えればいいだけです。

日記は今日あったことを書くので、その日の終わり、夕方以降に書いていけば問題ないでしょう。時間を気にするというのは頭の悪いことで、日記は書けばいいのです。書かなかったらただそれだけのことです。難しいことを考えてしまうと、結局何も行動できなくなってしまうでしょう。なので、毎日今日のことを書いていくことにします。

今日外は曇っていました。

ここで思考が止まってしまいました。今日の出来事というのは、今日の天気のことではなく、自分が何をしていたか書けばいいのでしょうか。もし仕事をしていたらと考えてしまいましたが、それはまさに無駄な思考です。そんなことを考えるから日記が書けなくなってしまうのです。今、思考は過去や未来に飛んで行ってしまっています。現在になかなか戻ってこれません。日記を書くことは楽しいのでしょうか。ただ振り返っているだけで、なんの進歩もしないのではないでしょうか。

シンプルに日記を書こうとしましたが、思考がそこに至りませんでした。そもそも、自分は当たり前のことがあまり好きではありません。人の会話がつまらないと感じている人間なのです。そんな人間に普通の日記を書けと言われても書けません。と自分に愚痴をもらしてしまいました。シンプルにしようと思ってもできない、反発したくなってしまうのが自分なのでしょう。やはり、もっと専門的なことを書いていったほうがいいということでしょうか。ゲームについて書いていましたが、どうも表面を舐めているだけで、書いていてもつまらない文章にしかなりません。というか、『今日は曇っていた』ということよりも、『なぜ曇っていたか』を書いたほうが面白いとは思いませんか(自分だけかもしれないが)?やはり、自分は一歩突っ込んだ日記を書いていきたいと思っているようです。ならば、「その日あったことを書く」のではなく、「あることについて深くつっこんで考えて書く」ほうが良いということでしょう。こうして文章にしてちゃんとゆっくり表に出して考えれば、まともな思考ができるようになるようです。自分は「つっこみ」なのでしょう。


2024年11月6日(水)

思考

自分の脳をスッキリさせたいです。ゲームをやっていると楽しいのですが、頭がスッキリしていていろいろと考えられるのかといったらそうではありません。プログラムを打ち込んでいるときも、頭がスッキリしているのかというと、過去にあったことを倣っているだけで、頭がスッキリしているとはいえません。頭がスッキリしているというのは、『いろいろなことが考えられる状態』なのです。どうも同じことをやっていても頭はスッキリしないのです。

おそらく、自分は回り道をしているからでしょう。ある状態にするために働きかけるということで頭はスッキリすると思われます。頭の良い人は、単純に思考するのです。難しいことを考えて回り道をするようでは、頭がごちゃごちゃになってしまうでしょう。自分は今その状態に陥っています。なので、もっと単純に考えて、その状態になるように努力していきましょう。

そうですね、たとえば、皿があったとします。これを、どう作られているのかと考えるともやもやしてしまいます。実際に作られている工程を見れば、しっくりくるでしょう。しかし、皿を「食べ物を置くための道具」として見れば、思考を単純に保つことができます。わからないことを考えようとすることで、もやもやした頭のスッキリしない状態になってしまうのです。ようは、思考の繋げ方の問題ですね。

なんでだろうと繋げていくと、意外に多く繋がっているものです。わからないことを考えようとすると頭が回りません。そこは抽象的な思考もいることでしょう。頭の良い人は、たしかに抽象的に考えるイメージがあります。自分は目的がないと何をしたらいいのかわからない人間です。人と話すことは目的にはなりえないので、つまらないものです。大体はゲームで目的が与えられています。日記を単純に考えようとすると、「その日あったことを書く」、ただそれだけのものです。別に難しいものでもなんでもありません。何かがあったから日記を書くわけではありません。変わらなければ、そのまま「変わりのない日常を過ごしています」と書けばいいだけです。ただ、それでは自分が飽きるので、いろいろとこれからもしていくことでしょう。その分だけ日記に書くことが増えるというね。まあ、寝る前に書くというのを心掛けましょう。


2024年11月2日(土)

具体的な楽しさについて(今日やったこと)

今日は休みで余裕があるので日記を書いていきます。というか、休みじゃないと日記を書く暇がないので、基本的に休みの日に書いていくことにします。平日は維持だけで精一杯なのです。

今日やったことを振り返ると、マリオオデッセイ、バイオハザードRE:3、C言語、JavaScript、配信を見ることです。本当は3Dモデリングや3Dゲーム作り、C++、Webサイト制作もやりたかったのですが、配信を見ていたりゲームをしていたら時間がなくなってしまいました。

考えてみると、「自分が楽しむのが一番」です。それでいて人に迷惑をかけなければいいのです。自分が楽しんで人も楽しめれば一石二鳥です。とりあえずは、自分が楽しむことを第一に考えるというやり方でやっていきたいです。今のように日記を書いているのは誰にも迷惑を書けておらず、自分の好きにやっているので良いことです。

ここで、プログラミング、配信を見ていると書きましたが、それをそっくりそのまま人がやるとしたら、いろいろと調べることになり、楽しくないかと思われます。よって、具体的な配信者のことを書いたり、プログラミングで何をしていたのかを書くと、他の人も楽しめるのではないでしょうか。

なので、今回からは具体的に書いていくことにしましょう。何が面白いのか具体的に書いていくことでも、自分が何が楽しいと感じていたのかがわかるはずです。順番に書いていくことにしますか。

マリオオデッセイは、全部で880枚のパワームーンがあるのですが、それをアクションを駆使して集めていくのが楽しいです。グラフィックも綺麗で、操作感も良く、アクションも豊富なので、飽きずに何週もできます。さすがに続けて周回するのではなく、すべてのパワームーンを集めたら、時間をおいて次の周回を始めるという流れです。
バイオハザードRE:3は、昨日買ったものです。ゲームが短いというので忌避していましたが、実際にやってみると結構面白かったです。やはりグラフィックが良く、ゲーム性はRE2に回避アクションがプラスされたといった感じです。敵を倒す楽しさは変わっていません。ボスもなかなかかっこよく仕上がっています。自分は買ったときは、RE3の値段が75%OFFの約1000円になっていました。元の値段が4000円くらいなのですが、買って損はないでしょう(特に周回プレイしようと思っている人は)。自分は今ノーマルでやっているのですが、結構死んでいます。連続攻撃に当たったり、ハンターに即死攻撃をされるからです。たしかに、このようにゲームのことをいろいろと書いていくと、買いたくなったり、前やっていても再度やりたくなったりするかもしれません。

C言語は、ただ本を読むだけで終わりました。やはり、自分は図形を描いて動かさないと気が済まないみたいです。なので、自分はJavaScriptかC++を主にやっていくことになるでしょう。C言語の良いところは、シンプルなことです。実用的かというとそうではなく、C++のほうが実用的でしょう。ただ、C言語は可愛いので見てしまうという節はあります。プログラミング自体を学ぼうとするなら、C言語はおすすめできます。ただ、プログラムで遊ぼうとなるとJavaScriptかC++をおすすめすることになるでしょう。ようするに、自分はC言語は使わないということです。ただ見て癒されるだけですね(笑)。
JavaScriptは、振り返りでいつもの円を動いて動かし、弾を撃つということをしていました。これだけで100行以上使うので、ある程度時間が過ぎます。やることは、APIを使う、変数を使う、関数を使う、クラスを使う、配列を使う、イベントを使う、繰り返しを使う、条件分岐を使う、時間的処理をする、と一通りのプログラミングを行うことができます。もし本に書いているプログラムをそのまま打ち込むということをやっていたら、本の一部しか使えないで終わるでしょう。全体的に復習するにはシューティングを作るというのが丁度良いのです。これはC++、Direct2Dにもいえることでしょう。実際に書き方がわかっていて、それをなぞってコードを書くだけでも楽しいものです。

配信に関しては、みこちの配信を見ていました。みこちというのは『さくらみこ』のことで、ホロライブに所属しているVTuberです。天然でポンでかわいいことで有名です。今日見ていたのは、『Detroit: Become Human』というゲームで、選択肢とコマンド入力によってストーリーが分岐するという内容になっています。人のゲームを見て楽しめるというのは小学生からで、それが今になっても続いているということですね。以前は男の配信ばかり見ていましたが、最近はホロライブの配信をよく見ています。喋りが上手いし、癒されるという意味で見てしまいますね。今日は結構長いこと配信を見ていました。天然で、わざとではなく自然とボケるので、予想外で笑えます。配信者らしく、尖った選択肢をするので見ていて面白いですね。歌とかアイドルとかは関係なく、配信者として見ている感じです。長く配信するので、全部見るのは大変でしょう。やはり好きな配信を時間を区切って見ていくというのが一番賢いやり方でしょう。

以上が今日の出来事です。てことは、明日カラオケに行ってきたら、一応そのことについて書いていったほうが人が楽しめるのではないでしょうか。具体的に何が楽しいのか書くことで、他の人も楽しくなれたらなあと思います。自分に共感能力はないけれど、自分が楽しむことはできます。それを書いて人が楽しめれば一石二鳥でしょう。てなわけで、明日やったことをメモって、日記に具体的に何が楽しかったのかを書いていきましょうか。それではまた明日。