2025年9月15日(月)
考える材料
全体的に見ても何を考えたらいいのかわからなくなりました。結局何かしらに集中することで物事を考えられるのです。自然に考えるということはちょっと自分には難しそうです。
何をやろうかと悩みます。ただ、ゲームだけやっていてもそれほど考える材料にはなりません。プログラミングで何かを作るにしても、何を作ろうか思い浮かびません。解説を書こうという気持ちもありません。
自分は何をしていったらいいのかと考えたところ。悩んでいるのは何もしていないのと同じで、あまり良くありません。作るにしても何を作ればいいのか思い付きません。はたしてどうしたらいいでしょうか。作るものを考えるという行為は思い付かなければ虚無の行為になります。普段から何を考えればいいのでしょうか。
そう考えたとき、『作られ方を考える』という考え方が思い浮かびました。今読んでいる本は細胞生物学であり、細胞とは何かについて、細胞の作られ方を書いている本です。プログラミングで作るものも、過去にあったものを真似しているので、既に作られていたものです。モデリングする際もどうやって作るのか想像して作ることになります。人工物も人によって作られたものです。よって、作り方を想像することで考える材料になり得るのではないでしょうか。それは自然についてもそうです。生物や宇宙も作られたものです。そうして、自分でも作れるのではないかと思ったものを調べて作っていくのです。なので、まずは作るよりも「作り方を考える、調べる」といったことをやっていったほうが自分の頭は回るようになるのではないでしょうか。考えることにより日記に書く内容もできてきます。とりあえずは作られ方を考えることから始めていきます。
2025年9月14日(日)
我慢できない
たしかに、今日は午前中何をしたらいいのか悩んでいました。そして、実際に始めたのは午後3時頃からです。一日というのは意外と短く、ほとんど何もできないのが常です。いろいろやろうとしてもちょっとだけやって終わるでしょう。なので、やることを絞る必要があるのです。たとえば、モデリング、プログラミング、ゲーム開発、読書、ゲーム、パズル雑誌、音楽制作、それらをすべてやろうとするとどうしても時間が足りません。1時間では少なく感じるし、学んでいれば何も作らずに終わります。復習だけで終わるかもしれません。どう考えても一つのことを集中してやるのが良いでしょう。ただ、ある一つのことだけをずっとやるのはどうも自分には不可能です。いろいろなゲームがしたいし、いろいろな本を読みたいのです。いろいろなものを作りたいかというと、それはちょっと時間がないのではないかと思うのです。どう考えても作るよりもインプットのほうが速いものです。その爽快感が欲しいのです。
タイトルに我慢できないと書いたのは、サイトのページを作ってないで、早く日記を書きたいと思ったからです。他にもいろいろやりたいといった我慢も含まれます。結構考えるので時間を使ってしまいます。やれることが多いからどうしても迷ってしまうのです。そんなときに行き着くのがプログラミングです。なので、今日は簡単なゲームを作り、その作り方を解説したページを作ろうとしていました。いや、やろうとしていたというか、まだ作り途中です。どのようなページを作ろうかと悩んでいたら時間が経ってしまい、少し書いたところでもう我慢できなくなり日記を書き始めたのでした。やはり作るのも時間を決めてやるのが良いのです。それと、やはり全体的に見るというのは重要です。中途半端ならば後から続きを書けばいいだけです。内容が増えてきたのなら別のページに避ければいいだけの話です。なので、どんどん作っちゃってOKです。
そうですね、今は特にゲームがやりたい気分です。自分はゲームをやるために生きているといっても過言ではありません。すべての事象の中でゲームが一番好きなのは変わりません。おそらく、作るという行為を何かに限定すれば、そこまで悩む必要はないので、すぐに作ることができ、ゲームや読書に集中できるというわけですね。そして、プログラミングに決定しました。というより、今も作ってる途中なので、何かしら作るとしたらプログラミングのページになることでしょう。ということで、ゲームの世界へ出発!
そういえば、複数のゲームを同時にやろうとしていましたが、それだと頭が混乱しそうです。バナンザを続けてやることにしましょう。今は最初からやっていて、DLCまで全部終わったらゼルダに戻り、マリオをやっていく流れにします。読書は細胞生物学の本を絶賛読んでいるので、それを読み切ったら別の本に入ることにしましょう。それと、プログラミングも、粗方やりたいことが終わったら別のものにいくことにしましょう。まあ、とりあえず数ヶ月はプログラミングを続けると思われます。細胞生物学の本は結構大きいので、それもまあまあな期間続きます。それで安定ですね。ということで、バナンザを1時間やり、配信を見ながらパズルをやるという流れでいきます。とりあえず、作るのは休日の昼にやることになりそうです。アディオス。
2025年9月13日(土) 夜
人は孤独だ
ぼんやりと配信を見ていました。そのときはちょっと面白くてもすぐに忘れてしまいます。それほどまでにどうでもいい内容です。しかし、時間を使えればそれはそれで良いのではないでしょうか。少なくとも寝たきりよりは良いものです。
普段自分は夜に何をしているのか考えていました。客観的に見て、ゲームをしているのは虚しいことです。配信を見ているのも虚しいものです。何かものづくりをしていても虚しいでしょう。というより、一人で何かをしているのは客観的に見て虚しいものです。しかし、それが普通です。配信者も一人で配信をしてネット上の人と繋がっています。それは客観的に見て空虚なものです。人は一人なんだなと思う今日この頃です。
そうですね。こんなことを思うのは夜くらいですね。やはり何か寂しい感じがして、それを埋めようと空虚なことをするのでしょう。何をやってもそれは紛らわすことはできません。もちろん何かに集中するとそのことについて考えなくてもいいのですが、広く見る、自分を客観的に見ると虚しさを感じでしまいます。やはり夜だからですね。昼間は皆活動しているのでそれを感じないだけです。
まあ、正直、夜は何をしていてもありです。昼間は何かしら作る時間に回したいところです。夜はゲームか配信を見るか読書、パズル雑誌に励むのが良さそうです。自分のサイトをもっと更新していきたいし、何かしらの動画も作りたいですね。物事を広く見るのはこのまま続けていきたいです。日記も休日は毎回書いていきたいですね。このサイトをもっと遊べる場にしていきましょうか。
2025年9月13日(土) 夕
雑談→全体を見ること
今は夕方の5時です。日記を書きたいというか、考え事をしたいので文章を書こうと思いました。
何かに限定して考えると他のことが疎かになります。自分は人に興味がないので、人と会うのが億劫です。なので、仕事をしていても他のことを考えます。人と会うと緊張するし、自由度が下がるし、つまらないし、自分の思考を表に出すのが遅く難しいので人と会いたくないのです。これは性格上のことなので直すとかそういうレベルのことではありません。むしろ直そうとすると世界を直すことになり、これは破滅を招く思考です。なので、自分は人をなるべく避けるのです。これは今も昔も変わりません。
いろいろと考えるのですが、やはり大事なのは全体を見ること、抽象的に広く考えることです。そうすることで自由が拡大し、自分にとってわかりやすく生きることができるのです。プログラミングはゲームを作るためのもので、自分のサイトは楽しむためのもので、パズルが好きなのは感覚的に楽しむことができるからです。ゲームはリラックスして楽しめます。そんなふうに考えることで気楽な人生、悩み過ぎない楽しい人生を歩めるでしょう。
今までは思考を限定していました。何をやらなければならない、日記を書かなければならない、ゲームとプログラミングをやるべきだと。しかし、全体的に考えると、社会だったり、自分だったり、何をやるべきかだったり、考えることがたくさんあります。最終的に決めるのは自分自身です。なので、自分中心に考えれば自分のやることを見つけることができるでしょう。それは過去から類推されるものになります。前はゲームをやった楽しかったからやろう、音楽を聴いて面白かったのでまた聴こう、パズル雑誌をやって爽快だったのでまたやろうと、過去から物事は繋がっています。何かしら作ろうと思うのは、遊んでばかり、受動的なことばかりなのでなんか物足りないと感じた結果です。これは全体的に見れないと感じないことです。たとえば、ゲームばかりやって、ゲームのことだけに集中すれば何かを作ろうとは思わないでしょう。俯瞰して広く考えると人から与えられたものを遊んでいるだけという思考に至ります。ゲームのことだけ考えるとゲームのことだけ考え、全体的に考えていると全体像が見えてくる。ただそれだけなのです。全体的に見れていたほうがアウトプットはできるでしょう。特に情報化社会であり、多くの人工物で溢れているとそれに目がいき、結局自分では何もしていない環境にただ支配される自分ができやすくなっています。考え方としては、普通に全体的に見るとしかいえませんね。今も一部ではなく全体的に見て文章を書いています。するとなぜか自然と文章がスイスイ書けるのです。不思議ですね。たしかに、生物は多くの細胞が集まって強調して一個体になって動いています。なので、自然と全体を見れば自分のすべきことが自然とわかるようになっているのでしょう。どちらが良いとか悪いとかではなく、全体的に見たほうが自然と動ける、ただそれだけなのです。
全体的に考えようとすると難しいかと思いますが、元々世界はそんな単純ではありません。難しいのは当たり前のことなのです。いろいろと考えが巡ってしまうのは普通です。悩むこともあるでしょう。これだけ多くのものがあれば悩むのは必然です。さあ、あなたは何をしたいでしょうか。自分も、できることといったら動画作り、プログラミング言語を使ってのゲーム作り、サイト作り、モデリングとたくさんあります。考えてみると、遊ぶのと作るのは半々が丁度良い気がします。そう思うでしょう?作るのは間違いなく遊ぶのより時間がかかることなので、時間を使うのはしょうがないです。仕事もほとんどの人が作る仕事をして、遊ぶのは帰ってからのほんの数時間や休日になります。そう考えると、仕事以外では遊ぶのが理想と理屈で考えられます。仕事は窮屈なのです。自分が楽しいと感じるものを真似して作ってみるのが最も良いでしょう。それは理屈ではなく、もっとシンプルな感情でいいのです。もし理屈にするといくつもの要素が出てきて、逆に考えるのが大変になることもあります。楽しいのは素直に考えず楽しいと思うことにしましょう。それが全体を見ることなのです。
2025年9月6日(土)
今思ったのですが、全体を見ていません。もし自分の日記を客観的に見ているのならば、書き言葉ではなく話し言葉で書くはずです。ずっと何をしたらいいのか、何をしたら楽しく生きられるのかを考えていたのですが、未来に答えはありません。自分が過去にしたことの延長で考えることになります。自分がまともに考えられるようになるには、「物理的に考える」ことです。何も思い浮かばないときは、物理的に考えて文章にすることで真っ当な考えができるようになるのです。では、物理的に考えてみましょう。
まず、なぜ悩むのかです。プログラミングをしようか、読書をしようか、配信を見ようか。モデリングをしようか、ゲームをしようかと、複数のことを同時に巡らせてしまいます。これは思考回路が混線して、あちこちに繋がっているからです。悩まないようにするにはどうすればいいでしょうか。物理的に考えると、「あることに集中すること」により他のことを考えられない状態に持っていけば悩まなくて済みます。これは集中力が足りていないからです。悩むというのは決定できかねています。では、何をしたら決定できるでしょうか。これは過去の自分に倣うのが安定です。どうも、昔の自分はゲーム、パズル雑誌、読書を回してやっていたイメージです。いや、でも考えてみると人のために何かしらやらないと生きていけません。今までも、自分は仕事でものづくりをしてきました。なので、何かしらものづくりすることは必須です。
では、自分は何を作ったらいいのか物理的に考えましょう。いや、どうやって考えてもゲームの知識が大きなウェイトを占めているはずです。ということは、面白いゲームを作るのが良いのでしょうか。ここで考えることは、物理的に作ることです。自分は人と喋ることが本能的に苦手なので、一人でやっていくことになります。物理的に一人で作るものが望ましいです。『物』というのは『オブジェクト』です。ただ、イラストは頭の中にないので、3Dモデリングでオブジェクトを作りましょうか。それを配置して遊べる形にするとゲームになります。どうも文章を作るというのは自分の発想力的に無理があります。本を書こうにも文章が思い付きません。3Dゲームを作ることは不可能ではありません。物理的に可能なことです。自分が今まで思い付かなかったものはできません。それが物理的考え方です。パズル雑誌の問題を解いたり、読書をしてきましたが、自分で作るとなると思い付かないのです。なので、消去法でゲームを作ることになるのです。これは今までの知識、やったことから推測されることです。これが物理的考え方です。どうでしょうか、真っ当でしょう?
ゲーム作りを仕事にするのは決まりで、あとはどうしましょうか。まあ、今まで通りゲーム、パズル雑誌、読書をやっていけばいいでしょう。では、このサイトはどうしましょうか。普通に考えると何も更新しないのはもったいないです。ただ、ゲーム、パズル雑誌、読書の中に組み込めるのかという話です。あ、今一つだけ組み込めるのがありました。それは、「読書」です。本で読んだ知識を書くページを作ればいいのです。ゲーム作りの知識を書くのも良いでしょう。これで物事が繋がりました。悩んだら物理的に考えると『何でも』解決できます。焦ったら思考が偏ったり、行動力が落ちたりするかもしれません。そんなときは、冷静に物理的、理屈で考えて問題を解決しましょう。