2025年8月31日(日) 夜
自分を安定させたい
いや、落ち着いて考えろ、俺。自然科学、モデリング、いろんなゲーム、プログラミング、ゲーム開発、工学、そんないろいろできるか。そんなにいろいろやってる人間は見たことないぞ。小説を書く人は小説を書いて、音楽を作る人は音楽を作って、イラストを描く人はイラストを描くはずだ。それが安定というものだろう。いろんなゲームをやってしまうと他のことに手が付かなくなることは必至だ。先程同じゲームのRTAをずっとしている人を見て、自分も同じことを続けられる人間になりたいと思った。いろんな方面を向くと不安定になってしまう。さすがに一つとは言わないが、せめて3つに絞るべきだ。そしてそのうち一つを毎日やることとすればよい。何か作らなければならないと思えばこのざまだ。結局一日何もしていない。勉強か真似をしようとすれば腰が軽くなる。自分の頭だけで何かをできるとは思わないことだ。無理に動画を作ろうとするな。人間そんないろんなことはできない。絞らねば。
どうしても頭から離れないのはプログラミングである。俺の意識はそれに囚われている。やらなければ不安になる。一番楽しめるのはゲームである。3Dゲーム開発は、おそらくそれをしているだけで時間を膨大に消費しそうだ。そうなるといろいろなことができなくなってしまう。それならばプログラミングで2Dゲームを作っていたほうが早い。ここで候補はモデリング、音楽制作が出てくる。もし3Dゲームを作らないのだとしたらモデリングは無しである。しかし、3Dのオブジェクトを作りたいという想いはある。客観的に見て、音楽を作っているかといったらそうではない。自然科学はどうだろうか。ああ、これは寝る前に読めるものだ。なので、ちょこっと本を読みたくなったら読むことにしよう。これは別枠か。たしかに読書自体は15分でも30分でもありだ。いろいろするとなると、ゲーム、プログラミング、モデリングの3つになるだろう。これより増やそうとすると迷いが生じ、安定してやっていけなくなるだろう。プログラミングの中でも3Dを扱えるので、その中で3Dモデルを扱っていこうか。
正直、いろいろなゲームをしようとすると、それはそれで時間が足りなくなる。そして、ノベルゲームをすると安定しなくなる。アクションゲームなら2時間で切ることができるが、ノベルゲームは10時間以上続けてやりかねない。それよりは読書をしたほうが有意義だ。どうして自分は無駄なことをするのだろうか。それは「気になる」からである。中途半端が気持ち悪いと感じるのである。途中から作るのは気持ち悪く感じる人間だ。それで大きなものは作れないでいる。日記はある程度の文を書けば完成できるので書きやすいのである。基本的に、新しくやった楽しいと感じるゲームをずっとやり続けるのが良いのではないだろうか。ゲーム自体感覚で楽しむものだと思っている。いろいろなゲームをやるとゲームについていろいろと考えるようになり、過去のゲームが頭に巡り、いろいろなゲームに目移りしてゲームしかやらなくなってしまうという懸念がある。なので、同じゲームをずっと続けてやるのが良いのである。つまり、自分にとって『バナンザ』である。
やはり、思考を限定する必要はある。いろいろと考えてしまうと行動できなくなるからだ。なので、ゲーム、プログラミング、モデリングの3つに絞ってやっていこう。この結果は1週間後にまた報告する。ではまた。
2025年8月31日(日) 夕
動画を考える
自分も動画を投稿したいという想いは強くあります。しかし、録画ではなく、ボイスロイドに喋らせて字幕を作るというのは非常に時間のかかることです。字幕なしでリアルタイムに自分が喋るのが最も速く動画を作れます。ほぼ毎日やるとしたらリアルタイムで自分が喋ることになるでしょう。
今パッと思い付くのは、プログラミングである処理を作って、それを作るにはどうすればいいかを解説した動画です。ゲームの動画は自分が実況できないし、考えると楽しめないのでなしです。あるモノを作ってみたというのは録画が長くなり、自分らしくないのでなしです。短い時間でできることが自分に合っています。現実の世界を録画したり、アニメーションを作って動画にしたりというのは自分らしくないのでなしです。そう考えると、結局プログラミングに落ち着くのです。モデリングを学んで何かの作り方を解説するのも全然ありですね。ゲームエンジンを使ってある処理を作るというのも全然ありです。ということは、結局「解説系の動画を作る」ということが自分に合ってそうです。これはゲーム攻略の解説でもありです。
ただ、問題となるのは「どうやってお題を決めるか」です。毎回新しいものを思い付かないといけないのは少々厳しいです。ゲームをやっていると次々やることが出てくるのですが、毎回完結させるとなるとどうやって考えたらいいのかわかりません。これは動画を作っている人全員が悩んでいることでしょう。企画や新しいものを作る人は常に悩んでいそうです。基本的に、思い付いたら作るという流れになるでしょう。ストックしておいて一つ一つやっていくのもありです。ストックはいくらあっても構わないでしょう。そのときに考えようとすると焦って考えられないという未来が見えてきます。なので、今のうちにストック、案を考えておくのが良いでしょう。
ストックは無ければ何もできません。たしかに、急に考えようとしても難しいものです。基本的に、何でもいいので作っていけばマイナスはないものと思われます。悩めば悩むほど人は離れていくでしょう。そこはビシッと決めていきたいところです。ストックがあって、その中の一つをやれば、「次はあれをやろうかな」という新しいやることが見つかることもあるでしょう。そうすることでさらにストックを増やしていき、ストックを際限なく増やしていきたいですね。これが安定というものか。いつの間にか話し言葉になっています。自分に対して書く文章と人に対して書く文章、二人の自分がいるということです。自分の日記なので、好きなほうでやっていくので今後もよろしくです。
2025年8月31日(日) 昼
ある状態にすること
「ある状態にすること」これは単純でいて実はそうではない。ある大きな機械を作ろうとすればいろいろと大変なことがあるだろう。あるキャラをモデリングで完成させようと思うと長くかかる。小説を1本書こうと思うと結構長く時間がかかる。今も、自分はある程度の文章量を書こうと思っている。しかし、言ってみれば、それらは「ある状態にする」ということを行っているだけである。たとえば、プログラミング学習サイトを作り、変数についてのページ、クラスについてのページ、APIについてのページなど単元に分けて作ることも「ある状態にする」ということと等しい。人がある行動をするのも、過去に何らかの出来事があったからであり、それはストーリーとして描かれるものだ。「ある状態」というのは「静止しているもの」である。その「ある状態の連続」が長いストーリーになったり、連続した記憶になったり、動画になったりするのである。つまりは、人は「ある状態にする」ことを考えることで思考を単純明快にできるのである。おそらく、頭の良い人はそのように思考回路を単純にして素早く答えに辿り着くことができるのだろう。これを自分は「単純思考法」と呼ぶ。
ある状態にするのが困難なほど話が長くなってくる。一つの長い作品というのは、基本的にある一つの結果のみを目指している。ゲームでいえばラスボスを倒すことだったり、アイテムを全て集めることだったりするだろう。小説だったらある事件を解決したり、ある場所から脱出したり、恋を成就させたりといったことになる。お金を多く集めることは大変なことである。YouTubeの登録者を多く増やすことも大変なことである。ある状態にするだけでも何年もかかったりするだろう。中にはある状態にするのが不可能なことだってある。それだけ「ある状態にする」というのが深いものなのである。
サイトではどうだろうか。同じ内容を何度書いても一回見たらそれで終わりだろう。毎回違う内容を書くと継続して見に来るかもしれない。情報が多ければ長時間滞在することになるだろう。幅広い内容を書けば閲覧する人が多くなるかもしれない。人に継続して見てもらう、多くの人に見てもらうことを考えれば、いろいろなことについて考えなければいけなくなる。サイトを多くの人に継続して見てもらうというだけで、考えてみると結構大きなサイトになってしまうのがわかる。このようにシンプルな状態を求めても多くの情報が必要になったりその状態にするのに時間がかかったりするのである。「ある状態にすること」というのはこれだけ深いものなのである。ゲームでも、あるエリアのアイテムを全てとって次のエリアに進むことを目標にしても、シンプルだが時間がかかり、面白いものになる。ある状態にさせるために何かをするのは面白いことなのだ。
今音楽は何の状態にするのを目的にすればいいのか考えていた。結果としては「ノリノリにすること」である。ゲームはある目的の達成なので、まだ別物になる。たしかに、音楽は雰囲気を作るものだ。その雰囲気が良ければいいのである。文章を読む意義は、連続した思考をすることにあるだろう。普段はおそらく普通の人は思考速度が速く決まった思考ができない。ただ、文章を読むと連続した思考ができるようになる。文章というのは新しい言葉はなかなかでないはずだ。それらの言葉は既に知っている。しかし、言葉を知っていてもそれをちゃんと繋げるのは頭の中だと難しい。だから文章を読む、文章を書くのである。自分も日記を書くときは、毎回ある程度の文章量を書ければいいと思っている。読む側もある程度の文章量で読みたいはずだ。これが人が望む「ある状態にすること」である。
2025年8月30日(土)
ハマるもの
ハマって無我夢中でやってしまうのは、アクションゲームではなく、アドベンチャーゲームです。それも、ノベル風アドベンチャーゲームがハマってしまいます。先の気になる展開というか、ストーリーものだとどうしてもハマってしまって長時間プレイしています。おそらく他のことを気にしなければ20時間くらい連続でやってしまうでしょう。
アクションゲームは長時間やっていると疲れて2時間くらいでやめたり、途中で区切りがあるのでやめやすいです。音ゲーも一曲やったら切りがいいのでやめやすいです。それらに比べてRPGやノベルゲームはすべて終わるまでやめづらくなっています。RPGに比べて、ノベルゲームは敵との戦闘による単調さがなく、楽に次に次に進めるので余計にハマってしまう原因になります。ただ、一つの作品を終えると、すぐに次のノベルゲームをやろうという気持ちにはなりません。どちらかというと余韻に浸って別のアクションゲームをやっていたりします。そして1ヶ月以上ノベルゲームをやっていないとやりたくなることもあります。ノベルゲームは複数のものを連続でやりたいとは思わないという特徴があるのです。そう思うと、一度一気にやって次のノベルゲームは何ヶ月か空けるというやり方が良いでしょう。
ノベルゲームで一番重要視するのは「絵柄」です。次に、内容が面白そうかです。ほとんどの絵柄の良いゲームは大抵内容が面白くありません。絵柄と内容は別物なのです。絵を描く人とシナリオを作る人は別なので仕方ありません。なので、絵柄だけで買うのはなしです。それだと最初のさわりだけやってそれ以降やらないという何千円かを溝に捨てることになります。皆さんも注意しましょう。ノベルゲームで音楽(BGM)が良いと思ったのはATRIくらいしかありません。それ以外は雰囲気に合ってるなあくらいのものです。ただ、音楽や効果音があるとゲームに没入しやすいのは確かです。イラスト、シナリオ、音楽(BGM、SE)があることでノベルゲームは没入しやすいものとなっています。
何のアドベンチャーゲームをやっているか書いていませんでした。今は10年くらい前にやったVitaのゲーム『ルートダブル』というゲームをやっています。前にやって面白くて、ストーリーを忘れているので、再度やって楽しんでいます。最近になってVitaと2DSLLを買い直したので、Vitaのゲームをやっているのです。元々は久しぶりに過去の初音ミクのゲームをやりたくなって買い戻したものです。初音ミクのゲームは一から曲を開放して少しずつプレイしています。おそらくまだまだやっていくでしょう。音ゲーは一曲ずつ区切ってやれるのですが、アドベンチャーゲーム、ノベルゲームは区切りがないのでずっと続けてやってしまうのです。アクションゲームよりも怖ろしいものですね。面白いというより、続きが気になってしまうのです。続きが気になるから面白いともいえるでしょう。やはり、大事なのはグラフィック、シナリオ、音楽です。音楽がなかったらおそらく没入感も薄れるでしょう。作る順番を考えてみると、企画・シナリオ、グラフィック、音楽の順番となります。そう考えるとゲームの楽しさの本質的なものは企画・シナリオにあるといっても過言ではないでしょう。そこからいろいろなものに派生していくのです。たしかに、グラフィックにハマる、音楽にハマるというより、内容にハマっている感じがしますね。ハマることの本質は企画・シナリオだと肝に銘じておきましょう。
2025年8月29日(金)
やることを決める
自分はいったい何をやったら楽しいのだろうか。こうして日記を書くのは客観的にやっているイメージがあるからだ。21時からご飯を食べながら配信を見る予定で、今は20時40分で20分の隙間時間が空いたから日記を書くのである。
自分というのは一人でものづくりをしている印象が強い。他の人からすると友達がいることが当たり前となっているようで、自分に友達がいると思い込んでいる人がいる。しかし、中学生からは友達0人で、友達と遊ぶよりもゲームをしているほうが楽しかったし、友達と会うのもゲームがメインだった。あまりにも普通の人とかけ離れていることだろう。しかし、自分の興味が人に対して無いのは子供の頃からずっとである。友達とゲームの選択でゲームを選んだだけである。それで人からはかけ離れてしまったのだ。これを直す気はないし、一人でやっていこうと思っている。
ただ、ずっと作り続けられるかといったら、それは無理である。遊ばないとやっていられない。遊ぶというのは、主にゲームである。パズル雑誌や本と比べるとゲームのウェイトが高くなっている。自分というのは何をすればいいのか悩んでしまい、うまく動けないことが多い。その場合、とりあえずゲームや配信を見ながらパズル雑誌に向かうことになる。しかし、それでは客観的自分が育成できない。客観的にゲームはそれほどやっていないのである。どちらかというと作るのがメインな感じだ。読書をしているかというと少しであり、そちらよりもゲームで遊んでいる印象のほうが強くある。
客観的自分というのは何だろうか。それに導かれて動くことも多い。これは直感的なものなので、なぜその姿が映るのかは謎である。これは理屈ではない。好きなものをなぜ好きかを上手く言葉にできないことと同じものだろう。たしかに、自分がどう行動するのか考えても答えは出てこない。やはり直感で何をすればいいのかを決めているのだろう。いろいろな計画を決めている人も、なぜ自分がそれをやろうとしたのかわからないはずだ。何かを決めることは直感の仕事のようである。
たしかに、一度やることを決めてしまえばそこに向かうだけだ。何の計画もないと自分が過去にやって楽しかったものをそのままやってしまうことになる。そう思うと、『やることを決める』というのが大事になってくるのかもしれない。それは理屈ではなく直感的なものだ。それが自分の進む道標になるだろう。ああ、つまりは、自分はゲーム、モデリング、自然科学系の読書、C++、JavaScript、ゲームエンジンを使ったゲーム作り、電子工作などをすればいいのだ。多いということは、それだけできることがあるということだ。それは多分なんでもいい。やらないよりはやったほうがいい。そのほうが自分が迷わないで済むからだ。これが自由度の高い人間の性だろうか。
2025年8月24日(日)
報酬系で楽しく
今日は遊ぶ→作るの繰り返しでやってきたが、どうやら精神は安定しているようだ。作るという行為は自分が思うよりも細かくて時間のかかることだ。モデリングとゲーム作りそれぞれ1.5時間していた。使う方を把握するのに時間を使うので、オリジナルはまだ作れていない。しかし、『作る』という行為をしたらそれなりに満足する自分がいる。モデリングもゲーム作りもゲームに関連したことだ。自分の人生でゲームが一番大きなウェイトを占めているので、それ関連のものを作ろうと思ったのである。
毎日日記を書いても満足はしないだろう。ゲームを作ることのほうが満足できるのだ。文章を読むよりもアクションゲームをやっていたほうが楽しい。頭を使わないことのほうが自分には合っているのである。今後も遊ぶ→作るということを繰り返していきたいと思った。こうして昨日書いたことを実行して精神が安定していると感じたのは初めての感覚に近い。おそらく、これが自分にとって正解の生き方である。文章は完全にオマケのものだ。
休日は遊ぶ→作るの流れを繰り返せばいいだけだが、仕事のときはどうしようか。仕事中遊んでいるかというと、どちらかというと作っている。しかし、自分が納得できていないものである。なので、個人的にものづくりしなければ自分は満足できない。自分の中で、仕事は遊びの範疇である。ということは、自分なりに何か作っていったほうがいいだろう。仕事の合間に何か作るのが良いだろう。
遊べること、後にゲームができることで脳の報酬系が作動し、作っている最中楽しく感じる。作っていて楽しいと感じる人は、その後に何かしらの報酬があるからだろう。作ることを連続してやっても脳の報酬系が働かないのでつまらなく感じ、自分の頭は作るのに向いていないんだと思うことになるだろう。それだけ人が動くのに報酬が大事だということである。面倒なことをやらなければならないときは、その後の報酬を考えることで楽しくなれるということである。これが自分の中の正解だ。今後もこれでやっていこうと思う。ちなみに、これからゲームをするために日記を書いているのだ。これも脳の報酬系のなせる業である。
2025年8月23日(土)
作る→遊ぶの繰り返し
やはり自分が何をやったかが重要であるように思える。今の自分には全く納得できていない。ゲームを中心に考えれば思考は安定するが、それで自分が納得できるようになるかは別である。自己肯定感がないと自分の人生を楽しめない。これでいいのか感がすごいある。
何をやったかで考えた場合、動画を作ったり、音楽を作ったり、ゲームを作ったり、何かをモデリングしたりがある。何かを工作するのでもいい。生み出すことが大事だ。多くのモノを生み出せば自分って楽しい人間だなと思い肯定感も増すだろう。ただゲームをやっているだけでは劣等感しか芽生えないのである。
物事というのはそう単純ではない。ゲームのこと以外にも、自然科学、身の回りのこと、多くのモノ、本の情報、考え方、発想などいろいろな要素が存在している。自分でもどうやって考えればいいのかよくわからない。おそらく、先のことをいろいろと考えておけば問題ないだろう。自分を納得させるというのはどこに含まれているのだろうか。先のことだけ考えれば自分を納得させることが見つかるのだろうか。自分を納得させるのは必要なことだろうか。多分、客観的自分とゲームのことを考える主観的自分の差が出つつあるようだ。そう、物事はそう単純ではない。ゲームというのも自分を楽しませるための道具にすぎない。それでは満足できないので『何か作らなければ』という思考に至るのだろう。いつでも自分について考えているようなものである。
そう、客観的自分が楽しめるような自分に仕上げていくことが自分に満足するコツとなるでしょう。ただ、いろいろと考えようとすると思考が安定しないのは事実です。正直、モデリング、音楽制作、ゲーム制作ができれば楽しい自分になりそうです。ただ学んでいるだけではつまらない自分になります。真似して自分も作るようにすればいいでしょう。
ただ、いろいろと考えてしまうのは頭が混乱するし、結局何もできないという事態になります。抽象的に考えれば、作ることで自分を満足させるのと遊んで自分を楽しませるということの2点が生きていくうえで重要な点となるでしょう。作る→遊ぶの繰り返しで自分に満足して楽しむことができます。遊んだから作ろう!と思うのが一番重要なことなのです。
2025年8月21日(木)
考え事
やはり自分を客観的に見ることは必要かもしれない。主観的に見るということのほうが難しく、いろいろと考えなければならなくなる。客観的に自分を見たほうがシンプルに考えれる。客観的に考えるというのは現実的に考えることで、現実と自分の妄想を一致させることができる。主観的に考えるとあまり現実的に考えられず頭が混乱してくる。今も頭が混乱しているので文章にしようと思った次第だ。
何も考えられない状態のとき、何をしたらいいのかわからなくなる。実際のところ、仕事はやることをやったらそれで終わりで別にそこまでする必要はない。主観的に見ると他のことをいろいろしたくてたまらなくなる。これが自分を客観視しないと精神がきつくなる理由になる。やることをやったら暇をしたり掃除でもしていればいい。主観的に見ることで他のしたいことが浮かんでしまうので現実と頭の中が一致せず精神が不安定になってしまうのである。
今は夜だが、夜に勉強するのは自分に合っていない。夜は遊ぶというのが客観的な自分である。ゲームをしたり、配信を見ながらパズルをするのが自分の日常だろう。自分を客観的に見て脳内と現実を融合させ、精神を安定させることが重要だ。主観的に見てしまうと精神が焦ることになる。これは脳が現実よりも速く回ってしまうせいである。あくまで現実的に生きていこうということだ。
文章にすることで現実的に自分を見直すことができる。それだけ『考える』という行為が重要なのだろう。やはり、物理的に考えていくべきだ。物理的とは現実的という意味である。考えるということは情報を繋げることだ。文章にしてゆっくりと考えることで自分の頭は情報が繋がるのだろう。つまりは、もっと落ち着けということである。たしかに自分は急いてしまう。急くということはどういうことかと考えると、頭の中で先に行ってしまうことだ。もっとゆっくりと考えるべきである。先に行った思考を手前に戻して現実に合致させると別に急く必要はなくなるだろう。どういうことかとゆっくりと考えることで答えが出てくるのである。
2025年8月17日(日) 夜
遅い
今日はちょっと動画を作っていました。しかし、作るのがゆっくり!ゲームをしたり読書したり文章を書いているときは速く進みますが、動画を作るとなるとかなり時間がかかってしまいます。それならば、やはりリアルタイムで動画を作ったほうがいいのではと思ったりします。現にYouTuberは動画を回してそれを編集で切り抜いて動画を作っています。字幕を作るのや、わざわざボイスロイドに喋らせて動画編集ソフトに読み込ませるのはあまりに時間がかかります。自分はこんな面倒なことはしない性格です。やはりリアルタイムで説明して録画するのが最速なのです。
ゲームを作るのも遅いものです。口で上からボールが降ってくると言うだけなら簡単なのですが、プログラミングでは細かいことを指定しなければならないので時間がかかります。文章というのがいかに速いアウトプットができるのかがわかります。おそらく、文章や喋るのが最速のアウトプットになるでしょう。ということは、自分はもっと文章を書いてアウトプットしたり、動画をリアルタイムで録画してそれを編集して動画を作ったりするのが良いということです。リアルタイムアウトプットを意識する感じですね。どうもゲームを作ったり動画を作ったりするのは遅いし時間がかかると思ってしまいます。それに対して文章は短い時間でまあまあな文章量を書けるから良いのです。やはり文章でいろいろと説明するようにしましょうか。画像を差し込んだりするのも時間のかかることなので、すべて口頭というか文章で書けたら最速のアウトプットができるはずです。
そうそう、どんな動画を作るか悩んでいたのですが、目的達成系の動画を作るというので落ち着きました。JavaScriptとは何かといったことや、円の描画方法、マスを塗る方法、クラスとは何か、~を作る方法などといった誰でも目的を達成できる動画を作っていきたいと思っています。それをリアルタイムで録画して編集できたら最も早いアウトプットとなるでしょう。遅いと自分がやる気をなくしてしまいます。何事もスムーズにやりたいものです。文章やリアルタイム録画を意識すれば素早いアウトプットが可能となるかもしれません。まずは意識からですね。
2025年8月17日(日) 昼
抽象的思考
自分を客観的に見ることに意味はあるのだろうか。どちらかというと大事なのは生きることだけである。そうなると自分の本能のままに従えばいい。しかし、そう単純なものだと楽しく感じないのが人間である。大事なのは客観的に見ることではなく、ある結果にすることだ。自分を客観的に見るというのはなんて浅はかなことだろう。それでは何も成しえないはずである。大事なのは「何をやったか」である。自分を客観的に見て猿真似しても何も生み出すことはできない。
いろいろと考えるのは大変なことで、自分が何をしたらいいのかわからなくなってくる。そんなときに役立つのが抽象的な考え方である。人はなぜ生きているのだろうと考えると、生きるために生きているという答えに達する。それは明確な答えなのかというと抽象的なものである。その中に細かい非常に多くのことが含まれているのである。歌うというのもはっきり音程を揃えて音を震わせて歌うという以上に細かいことが多くあるはずだ。しかし、いろいろと考えてしまうとやはり難しい。ある程度単純に考えるべきである。そこで抽象的思考の登場というわけだ。
自分は何をしようか悩むこと、つまりはそんなに選択肢があるということである。何か一つやることを決めたらそれに打ち込むことになるだろう。どうやったら人生を楽しめるか考えるとき、ゲームや音楽、配信を見ること、本を読むことが挙げられる。自分が楽しむには、自分でそれらを作ればいいだけだ。カラオケも音楽があって成り立つものである。音楽を作れば自分でも歌って楽しむことができる。すべては楽しむためのツールなのである。そのツールを作れば自分が楽しめる。基本的に作って自分が楽しむということをしていったら無限に楽しめることになるのである。この『作る』という行為が抽象的であり、ゲームや音楽が具体的なものとなる。自分のやりたいことが多くあるとき、抽象的思考をすれば考えが絞れてくるはずである。そんなことを書きたくて昼に日記を書いた次第だ。
2025年8月16日(土) 夜
自分を客観的に見ると
先程までは生配信を見ながらパズル雑誌をしていた。配信を見るのをやめたい、とまでは思わない。心配になって客観的に見ると、別に配信を見ることは普通である。自分は間違いなくオタクなので、VTuberの配信を見るのは至って普通なのである。一日に複数回日記を書くのはどうだろうかと心配しても、客観的に見れば自分のサイトなので更新は自由であり、何も書かないよりは良いことである。ただ、一日4回も更新すると見る側がしんどくなりそうなので、一日3回くらいが限度だろう。よって、夜中にもう一度更新しても問題ない。しかし、実際のところ夜に2回更新したことはないので、これが今日最後の日記になるだろう。
ゲームをやめたとなると、逆に何をしようか悩むことになる。最善策は自分のサイトを更新することだろう。動画を作る印象はなさそうだ。どちらかというと文章を書くイメージが強い。実際にこうして文章を書いているので、その印象も自分に定着していることだろう。正直、今までは思考をゲームに頼り過ぎていたのは事実である。頭が回らないとき、とりあえずゲームでもしようと思考停止というか、思考をゲームに使うということをしてきたのである。なので、ゲームをしていないと逆に頭が回らなくなってくるという事態に陥るのだ。それは仕事をしているとき、ゲームから離れているときに強く思う。
やはり、自分を客観的に見ると電子工作をちょこっとしている印象だ。本を読んで知識を蓄えて、それを使って楽しんでいるのである。というか、本を読まないと頭が回らない、記憶を呼び起こすことができないのである。Visual Studio 2022を起動してコードを入力する画面までいかないとウィンドウの表示のコードが思い付かないのと似ている。頭文字でもあればその後の単語が思い付くのと同じものである。
まだ疑問に思っている。ゲームをするのが好きな人が一週間のうちに一度もゲームをしないなんてことがありえるだろうか。それも想像するとなんか違う気がする。さすがに朝と昼はやっているイメージがないのだが、夜疲れたときに遊んでいるイメージがある。いわば、頭の回らない状態になったらゲームをするといった感じである。ただ、ゲームに頼るのは良くない傾向である。3時間はさすがにやりすぎだ。2時間くらいなら許容範囲だろう。ただ、一度クリアしたゲームはやらないということが大事である。大事というか、客観的に見て病んでいるイメージがあるからだ。本人もこんな繰り返しでいいのだろうかと心のそこで悩むことになるだろう。あくまでやったことのないゲームをするのが大事だ。
想像してみると、ゲームを毎日やる、やらなければならないと思うのはおかしなことである。ゲームは休日の土日にやるべきだ。仕事から帰ってからの自分を想像してみよう。そう、読書と実験である。やはり、コンピュータ、パソコンは使っている。これは自分がオタクだからだ。音楽やイラスト、モデリングをするというより、やはりプログラムを組んでいる印象が強くある。もちろんモデリングの本を読んで実際に作って遊んだりもするだろう。やはりコンピュータで遊ぶ印象が強い。今は土曜日の夜である。ということは、何か新しいゲームをやってみよう。朝は電子工作、昼はプログラミングやモデリング、夜は配信を見たり新しいゲームをするといった具合に見える。行動は自分の外側にいる客観的自分が決めるものである。かっこいいことを言っているようだが、自分を客観的に見るのは誰にでもできることである。それが脳のすごいところである。
2025年8月16日(土) 夕
非常に眠い→ゲームに囚われる男
プログラミングで前に作ったものと同じものを作ろうとしていたときに、眠くなってきました。目を覚ますためにゲームをしていたのですが、どうもマンネリしてきました。オンラインゲームはする気が起きません。どうしてこんなに眠くなるのでしょうか。どうも刺激が足りません。何か眠くならない方法はあるのでしょうか。過去にやったものは覚えているので刺激が足りません。自分の興味のないゲームは大抵がつまらないものです。自分が楽しいと思えるゲームはもうすべてやっています。客観的に見て、今の時間ゲームをするのは何か囚われている感じがして嫌です。
今更なのですが、はたしてゲームをやる意味はあるのでしょうか。自分の好きなゲームは発売してからすぐにやり、すぐにクリアします。それで終わりなのではないでしょうか。今現在同じゲームを繰り返しプレイしていますが、それはやる意味がありません。一度クリアしているので充分でしょう。それならば、まだゲームを作っていたほうが時間を有効活用できます。たしかに、自分は過去のゲームに囚われている印象があります。自分の興味のないゲームをやったとしてもつまらないのは目に見えています。そう考えると、同じゲームは一回しかやらずに、他のことに時間を割いたほうが時間を有効活用できます。読書やものづくりの時間に回せるでしょう。たしかに、客観的に見れば同じゲームを何回もやったり、いろいろなゲームに目移りして途中で止めたりしているのはおかしいです。ちなみに、今新しくやってまだ終わっていないゲームは「初音ミクロジックペイントS+」だけです。バナンザを何週もしているのですが、それはちょっと狂ってますね。自然科学を学んだほうが全然有意義です。客観的に見ると病んでいますね(^^;)。
自分は常に未来に進むべきです。過去に囚われていては何もできません。やはり、基本的に自分を客観的に見ることができれば何がおかしいか、何をするのがいいのかがわかります。考えてみると、自分はゲームばっかりしているというより、何かについて深く知ろうとするという特性があります。ゲームの作り方だったり、自然科学だったり、工学などです。元々人と付き合うのが苦手でオンラインゲームをしないので、ゲームに取り憑かれることもありません。たしかに、ティアキンでコログをほぼ集めるくらいやり込みましたが、それほど多くのゲームをやっているわけではないので一ヶ月くらいで終わることです。一度新作ゲームをクリアしてしまえば、それからすることはなくなります。ゲームが好きだというのは、新作ゲームを楽しみにするくらいのことです。実際にはそれほど時間を使わないでしょう。そうなると、やはり勉強やものづくりに多くの時間を回すことができます。
なんだか、こう書いていると真面目そうですね。しかし、ゲームは新作がでたらすぐクリアしてしまう人間なので、暇を持て余しているだけです。客観的に自分を見て楽しそうなのは、読書をしたり、ものづくりに励んだりすることでしょう。過去を引きずると鬱になりやすいし、これから何をするのかを見失うので引きずらないようにしたいです。しかし、そうですね、自分はオンラインゲームをやらないので、ゲームはすぐに終わってしまいます。そう考えると、ゲーマーというより、ゲーム好きの中に収まりそうです。ちなみに、今後発売されるゲームでやりたいものはありません。と書こうとしましたが、来年はバイオハザード9が発売されますね。今任天堂の発売スケジュールを見てきましたが、自分のやりたいゲームはありませんでした。ちなみに、ゼルダの伝説、3Dマリオ、スプラトゥーン4が出たらやる予定です。そう思うと、自分の好きなゲームは少ないのがわかりますね。基本的に同じゲームばかりやって凌いでいる感じでした。それが過去に囚われる原因でもありました。
正直、もっと読書をして思考を広げるほうが良いと思われます。そうして思考を広げればものづくりに繋げていけるでしょう。自分をもっと客観的に見る訓練をしたほうがいいです。ということで、一旦自然科学系の読書をして、ものづくりに関して学んで、何かしら作っていくことにしますかね。
2025年8月15日(金)
安定して生きていきたい
今日は朝に何をやろうか決めていたのですが、途中で悩んでしまいうまくいきませんでした。自分はいったいどうしたらいいでしょうか。
毎日安定した思考で何をやるかを明確にして生きていきたいです。自分が中途半端に終わってしまうのは、どこまでやるか決めていないからでしょう。また、何をやるかも明確に決めなければなりません。しかし、決めたとしても自分が楽しめるでしょうか。本を読んだりプログラミングを始めると眠くなって寝転がることが多いです。何かつまらないと感じているのでしょう。やはり、ある結果にするという目標を立てたほうがいいです。時間を決めても何もやらないんじゃ意味がありません。それならば最初から何をどこまでやるか決めてから取り組むのが良いです。それならば中途半端に終わることはないでしょう。
ただ動画を作りたい、サイトを更新したいと思っても、実際にやろうとすると何をすればいいかわからず、頭が混乱して配信を見たり、ゲームをしたりして何もやらないことが多いです。~をどこまでやると決めたら、それを達成させるまで続けてやることをしたほうが良いでしょう。時間を決めると毎回中途半端になって、次はまた一からやることになります。それはいつものことです。日記も一から書けばいいので、どこまでやるか決めているのでこうして毎回書けるのです。一気にやれということですね。
どの物事に対してもどこまでやるか予め決めていれば、それは安定した生き方になるでしょう。なぜなら、何をやるか悩んで何もしないという事態が無くなるからです。頭の良い人は多くのやることを作り、何かを達成すれば次の目的がどんどん浮かんできます。それを繰り返すことで安定した行動、生き方、考え方ができるようになるのです。それならば生産的な人間にもなるでしょう。
2025年8月14日(木) 夜
どうするか
自分が何をするのか、それは主観的なものになります。客観的に見ても、それは自分に対してのことなのでどうしても主観的にならなければなりません。自分のしたいことをすれば自然と面白くなっていくはずです。なので、自分のすることは、プログラミング、ゲーム作り、モデリング、ゲーム、パズル雑誌、科学と変わりません。ただ、何かを始めてしまうと他のものに手が付かなくなるので、何をするかという計画は大事です。迷い過ぎないように、ある程度予定を決めるのが良いのです。
予定を事前に決めて、それに従ってやれば日記に書くことも出てくるはずです。自分がどこで活動するかも大事ですね。おそらく、このサイトとYouTubeになってくるでしょう。もっと充実させなければなりません。プログラミングのページ、ゲームのページ、モデリングのページ、科学のページの4項目は作っていきたいことろですね。サイト制作も予定の中に組み込みたいです。今決めても明日の調子により決まるので変わる可能性があります。今こうして日記を書くのは、夜に日記を書こうと自分で決めているからです。ゲームをするのも大体夜にしています。
毎回フワッとしすぎて何をやるかを具体的に決められません。サイトにどのように書けばいいのかわからないのでなかなか更新できないのです。一つ一つのことを書いてもつまらないものになるでしょう。~の作り方という形式がわかりやすいかと思われます。しかし、自分はいろいろ思い付くのか心配です。たしかに、作る人は同じようなものばかり作っています。自分もそんな感じでいいでしょう。全く新しいものを考えようとするから無理なのです。自分が過去にやったのと似たことをやっていって、新しい情報を収集するようにすれば新しいページも作れるでしょう。最新の情報を得ることも大事だということですね。自分のやりたいとをやる、をモットーに活動していきたいです。
2025年8月14日(木) 昼
自分は勉強家??
一度やったアクションゲームでも次の周回は爽快にプレイできるので何回もやりたくなる。これはモデリングをする予定だったのだがどうもやる気が出ないし、もっと爽快なことがしたいと思いゲームをやって思ったことである。どうも自分はモデリングよりももっと爽快なことがやりたいようだ。モデリングよりは既に作れるシューティングやアクションゲームを作ったほうが爽快にできるだろう。人は楽なほうへ進むものだ。わざわざ難しいことなんてしたくない。物足りないときにときどき難しいことをするくらいだろう。誰だって爽快に生きたいものだ。
自分がカラオケに行くのだって爽快感を求めるものである。アクションゲームが好きなのも爽快だからだ。習っていないことをすると退屈になってしまうだろう。こうして人は偏りができてくるのである。自分にとってパズルも爽快にできるものだ。だからやってしまうし楽しいものなのである。
たしかにモデリングはやりたい。しかし、何をモデリングすればいいのかわからないし、結局本を読んで真似して終わりだろう。電子工作もやりたくはあるのだが、作りたいものがあるのかというとそうでもない。これは非常に不思議なことだ。やりたいのに作りたいものがないというのはちょっとおかしい。言ってしまえば、『興味がある』レベルなのである。興味があるということは「知りたい」と同義である。それは自然科学も同じである。すべて知りたいと思うのが自分なのである。完全に知っていれば、模倣して作るようになるだろう。自然科学に関してはもっと知りたいと思うようになるかもしれない。一度やったアクションゲームをするのは模倣である。しかし、最初にやったときよりスムーズにでき『爽快感』のあるものになる。それに関しては自然科学も同じである。知っていればすんなり読めるようになるだろう。一度読んだ本を読み返したくなるかもしれない。一度やったことを再びやるのは爽快感を求めているからである。こうして頭の中にあることを文章にしてハッキリさせるのも脳の繋がり、爽快感を求めているからといえる。
そう、爽快だったものは繰り返しやりたくなる。ゲームではっきりとわかった。一度勉強したものをアウトプットしていけばそれなりにやっていけるはずだ。しかも、繰り返せば一度やったことなので爽快感も出てくるはずだ。楽しいものは繰り返しても楽しいものである。勉強して、学んだことを繰り返すことを繰り返せば楽しさのループができあがるだろう。それを目指してLet's study!。
2025年8月13日(水) 夜
どんな自分が面白いか
どんな自分が面白いかを考えることは単なる妄想ではなく、たしかな想像をすることができます。これが客観的自分というものです。それで具体的に何をすればいいのかわかるし、現実的に生きていくことができるでしょう。自分は面白い人間だという自己肯定感も出てくるはずです。なので、どんな自分が面白いのか考えてみましょう。
想像すると、朝からゲームをやるのは少し違うなと感じました。なんか囚われている感じがあって、少し病んでそうです。そもそも、ゲームを1日2回もするのかという疑問が生じます。やるゲームをあれやこれやと考えているので目移りしてしまうのです。やはり1日に1回はゲームをするとして、一つに決めてやり込むべきです。
では、朝は何をしましょうか。雑事は当然です。読書をすると眠くなってきそうです。となると、体を動かしたほうが良いでしょうか。手を動かせることといったら電子工作くらいしか思い付きません。前から気になってはいるので、そっち方面のことをすることにしますかね。昼は自然科学系の読書でもしましょうか。それとモデリングですかね。客観的に見た場合、プログラミングよりもわかりやすいモデリングがやっていると楽しく見えてきます。夕方はゲーム作りでしょうか。これはゲームエンジンを使って作っています。客観的に見た場合、プログラムをいじることよりもゲームを作っていたほうが楽しく見えるのです。夜は音楽制作とゲームになりますかね。
客観的に見た楽しさを考える場合、プログラミングは地味で難しいイメージがあります。それに客観的に見たら何を作っているのかがわかりません。これが自分を堰き止めている原因になっています。自分にもわかりやすさが必要で、わかりやすいほど行動に移しやすいのかもしれません。とりあえず、明日はそんな感じでやっていきましょう。焦燥感というのはいろいろとやろうとするから生まれるもので、少ないものに集中すれば消すことが可能です。面白い自分をイメージして面白く生きていきたいですね。
2025年8月13日(水) 昼
集中
自分はなぜプログラミングをしたいと思うのでしょうか。言語自体は好きです。ただ、毎回同じようなコードばかりを書いています。なぜ自分がプログラミングをしたいと思うのかをちゃんと考えてなかったので、いま文章に書いて思考をまとめましょう。
一番頭にあるのは、自由度が高いからです。また、ゲームが作れるというのも大きいです。自分はアプリを作りたいというより、ゲームを作りたいという想いが強いです。ゲームが好きだからプログラミングをするのです。普段から使っていないと忘れそうなので使うという気持ちもあります。難しいというか、複雑なのでやりがいがあるというのもあります。
使い方を説明しようと思うと、ある程度説明したら終わるでしょう。しかし、自分はずっとやっていきたいと思っています。これはいろいろなゲームを作っていきたいことと同義です。大きなゲームではなく、直接言語を使って作るので小さなゲームをたくさん作ることになるでしょう。自分は毎回勉強しようか実際に使おうか悩んでいます。しかし、よくよく考えると、ゲームを作るための知識は既にあります。自分は構造体ではなくクラスを使うので、構造体を覚える必要もないのです。大きなアプリを作ることもないので、覚えることも本格的なアプリを開発する人よりも少ないでしょう。ならば、実際にいろいろとゲームを作っていくのが望ましいです。
あ、タイトルに「集中」とありましたね。これは『どれか一つに集中しよう』といった意味があります。プログラミング言語もいろいろ使うのではなく、どれかのプラットフォームを選んでそれ一つでやっていくのが思考が安定するし、大きなことをできるでしょう。ゲームもあれやこれややるのではなく、限定してそのことだけ考えるのが望ましいです。悩みを減らせということですね。
プラットフォームを選んでゲームを作っていくとしたら、JavaScript一択です。ゲームエンジンを使うのではなく一から作りたいという想いと、開発効率が良いという理由と、パソコンでもスマホでも利用できるという点があります。個人でやるにはC++はちょっと大きすぎるし、マルチプラットフォーム向けに作るのは難しい面があります。開発効率はC#を使うよりも良いのでJavaScriptを使うのです。自分がどれか一つの言語を選ぶとしたらJavaScript一択です。なので、自分はJavaScriptのみに集中することにしましょう。JavaScriptには、HTML&CSS、サーバーも絡んできます。サーバーを操作する言語はPHPです。なので、Web開発全般の知識を入れるとできることが広がります。やることを絞り、真っ直ぐ生きていきたいですね。
2025年8月12日(火) 夕
謎の焦燥感→やるべきことを済ませる
昨日はやる気があったのに、今日はやる気が出ません。自分の楽しいと思うことをしようと思ってゲームをしていたのですが、どうも謎の焦燥感が出てゲームに集中できません。このままではいけないのは確実なのですが、この焦燥感は無意識のものです。何が自分をそんなに駆り立てているのでしょうか。
仕事をしているときは最近は焦燥感を感じませんでした。お盆休みに入って何日か休んだ後に焦燥感が出てきてしまいました。これは仕事をしていなかったときと同じ気分です。仕事は仕方なくやってやるかという気持ちでやって、その間焦燥感はありません。何かしらしていないと落ち着かないという感じでもありません。なぜなら、ゲームをしている間に焦燥感を感じたからです。運動をしていないせいでしょうか。運動をしても何もしていないのと同じと思えば焦燥感が出るでしょう。焦るのはやろうと思ってやっていないときです。プログラミングもモデリングも動画作りも何もやっていないときに焦燥感が出やすいのです。では、なぜ仕事では焦燥感を感じないのでしょうか。「やるべきこと」があるからでしょう。ここでのやるべきことというのは「やらなければならないこと」です。歯磨きや入浴と同じことですね。ご飯もそれに含まれます。しかし、ゲームはどうでしょうか。やってもやらなくても同じことです。つまりは、自分に対してやらなければならないことをやらせるべきなのです。
逆に言えば、やるべきことをやっていないから焦燥感が出るのです。仕事を終えたら気持ちも落ち着くでしょう。やるべきことをやったからやらなくてもいい遊びをすることができるのです。焦燥感を消すには、やるべきことを先に済ませるのが良いでしょう。やりたいことリストを消化することで遊びも満足にできるようになるはずです。こうして文章に書く、頭の中の情報をまとめると答えが思い付きます。不思議なものですね。特に自分は思考の維持ができないので、悩んだら文章に書いてみることが非常に大事になってきます。皆様もぜひ試してみてはいかがでしょうか。
2025年8月11日(月)
妄想と現実のリンク
今日から時間と範囲を決めてやるということをしていました。やったことは、C++、JavaScript、ゲーム、モデリングです。ゲームをやるとき、どのくらいの時間でどこまで進めるかを考えてやったのでいつもより楽しめた感じがします。時間を決めて取り組んでいたので、C++もJavaScriptも自分の満足するようにできました。できたといっても、C++、JavaScript、モデリングは思ったよりも時間がかかりました。特にモデリングはここ最近ずっとやっていなかったので、操作を覚えるところから始めました。一つ一つの頂点を動かして作ることになるので、おそらくめちゃくちゃ時間がかかるでしょう。顔の基本構造を作るところまでやりたかったのですが、操作方法を学び、キャラの画像を配置するところで時間になってしまいました。JavaScriptでゲームを作るときも思ったより時間がかかって中途半端にしか作れなかったので、自分の想像力が足りていない証拠です。今はまだ妄想といったところでしょう。きちんと現実と照らし合わせてうまくいくように調整しないといけません。
正直、動画を作るのはかなりの時間がかかるので渋っています。10分の動画で5時間くらいかかるでしょう。それもうまいこと現実的に短い時間で作れるようにしたいところですね。ゲームを作るのも最低1時間以上はかかることがわかりました。30分ではゲームと呼べるものすら完成させることができません。これが現実というものです。ゲームに関しては大体予定通りにできています。これは自分がゲームをずっとやってきたおかげです。というより、一度クリアしたゲームなので今後どうなるかが予想できるのです。でも、時間を縮めることをしないと、いろいろとすることはできないでしょう。ものづくりも効率を良くしていくことが多く作ることに繋がります。早ければ早いほど良い、それはどんな物事にも共通でしょう。早ければ余裕が出て別のことができるのです。仕事にもいえますね。
日記を書くのも15分と決めていて、段落も大体3段落としています。何事もやらないと早くできません。パズルも感覚で解けるようになってきますし、ゲームも感覚で作れるようになってくるでしょう。これはモデリングも日記にもいえることです。日記は妄想ではなく、現実的なことを書くことで毎回決まった文章量を書くことができるでしょう。焦点をずらしていけば長く文章を書けるはずです。本の内容は本を開かなければわからないことです。今までやってこなかったこともやればわかるようになってきて、効率的にできるようになります。それで新しいことにも挑戦していこうという気になるでしょう。実際、文章を書いたことがない人は何をどうやって書いたらいいのかわからないものです。今の自分も何をどうやって書こうと考えて書いているわけではありません。これは感覚的なものです。ただ、いろいろと書こうとしたら文章が思い付くのです。多分、時間を気にせず書こうとすると文章が速く書けるようにはなりません。速くするには時間を決めて取り組むというのが重要です。それも同じくらいの文章量を短い時間で書く努力をするのです。時間がない人もそうやって効率的に考えてアウトプットしてきたことでしょう。たしかに、人と話せる人はすぐ何かを思いついて話さなければならないと思い頭の回転を速くしてきたはずです。自分のようにもともと喋る気がない人はその脳が育たなかった、ただそれだけです。長く書きすぎたので、ここらへんでお暇しましょう。明日は8時起きでいろいろとやっていきます。
2025年8月10日(日)
自由度を高める
早くゲームをクリアするにはどうするかを考えていました。しかし、実際にはストーリー通りにゲームを進めるのが楽で楽しいことだとわかりました。また、自由度があるので寄り道も可能です。ゲームを自由にプレイすることが最も楽しいことです。早くクリアするという縛りを設けることで自由がなくなりつまらないものになってしまうでしょう。また、束縛されるゲームよりも自由度の高いゲームを自分は好むことがわかりました。もう一つ気付いたことがあり、パズルというのは必ずできるようにできているのです。それってつまらないと思いませんか。それならばもっと自由度の高いことをしたほうがより開放的で楽しめると思われます。そうなると、パズルはほどほどにしておいたほうがいいでしょう。
自由度を高めることといえば、自然科学を学ぶこともそうです。工学もそうでしょう。自由度の高いゲームを作ることも自由を高めることに繋がります。そう思うと、小説や音楽は自由度がないものです。自由に動けはしないでしょう。それだけゲームというのが自由度の高い非常に優れた楽しめるものといえるでしょう。文章を書くことは自由度を萎めることです。ゲームのように選択肢があれば自由度を高めることができます。
自由度が高くて楽しいこととは何でしょうか。多分、ゴールが存在していて、そこに辿り着くまでにいろいろと遊べることでしょう。最も自由度が高いものといったら、多くの選択肢を選べることです。しかし、迷いが生じたら楽にはならないかもしれません。ある程度の選択肢があるというのが重要なのでしょう。選択肢を分岐させるとなると、ゲームくらいしかありません。最終的にある結果になるようにするので、もし現実であるモノを作るために選択肢を分岐させるとすると、違うものが出来上がってしまいそうです。そこはゲームならではといったところでしょう。自由度の面では現実はゲームには勝てないということです。
自然科学や工学を学んだからといって行動に移せるかは微妙なところです。何かしらの機械が必要だったり、お金がかかったり、場所が必要だったりするでしょう。やはり、自由に動けることが楽しさに繋がるのです。何らかの目的達成のために自由に動くこと、それが人の楽しさなのでしょう。ということは、やはり自分のすべきことはゲームを作る意外にありえないのではないでしょうか。自由度を高めるといっても現実でできることはたかが知れています。また、自分が人と付き合うのが好きではないので、一人でもできることが望ましいです。そうなると、やはりゲームになります。『自由度の高いゲーム』を作ることにしますか・・・。
2025年8月9日(土) 夜
人生を面白くするのは自分自身
何をしようか迷ったとき、生配信を探して見たりします。ただ、毎回面白いわけではなく、ときどき面白いくらいです。ずっとゲームをやっているのもなんだかつまらないものです。
まず、考えることはどんな人間ならば面白いかです。自分は一人の配信をずっと見ていられるわけではありません。つまらないと思えば別の配信を見にいったりゲームをしたりします。そう思うと、ずっと面白い人というのは自分の理想の中でしかないということです。新しい面白いゲームを毎回やったり、材料を集めてなにかしら作ったり、読書をして新しいことを学んだり、何かの企画をやったりと、いろいろなことをするのが望ましいです。同じゲームやつまらないゲームばかりしているのを見てもつまらないのです。
以上のことを人に求めるのは違います。どちらかというと自分に求めるものでしょう。面白い人間を自分で作っていくのです。一日ゲームしていてもつまらないな、というのは自分が他者を見て思うことです。自然科学や工作、音楽作り、ゲーム作りなどをしていると楽しい人間に見えるのです。つまりは、自分に対していろいろとやっていくことが人生を面白くするのに必要なことです。他者に頼ると不安定でずっと楽しむことができません。
朝はどんなことをしているのが理想の面白い人間か、昼は何をすれば面白い人間か、夜に何をすれば楽しい人間かを考えることで、自分の理想の楽しい自分を作り上げていけるでしょう。多彩なことをすることで自分が満足、楽しい自分を作り上げていけるのです。こんなにころころ楽しいが変わるのはレアなケースでしょう。そもそも、人と付き合っても楽しくなくて面倒だと感じるのが人と大きな隔たりを感じている部分です。結局は自分が一番、そういうことなのでしょう。変えるのは自分が一番早いのです。
2025年8月9日(土) 夕
思考を加速させる
何か物足りないとき、ゲームをやっても満たされません。ゲームだと現実的な速さに支配されるし、何より思考の自由度よりも圧倒的に低いものなのでそれで頭が回るわけではありません。
おそらく、頭を回すには瞑想でいろいろと考えればいいでしょうが、自分は今までそれで安定した思考ができた試しがありません。それよりは、外を歩いたり、文章を書いてアウトプットするのが頭を回してスッキリさせることができます。
文章というのは時と場所を越えられるもので、自由に考えることができます。一番束縛されないものといったら文章でしょう。概念さえも書くことができます。
正直、人生で何をすれば最も楽しいのでしょうか。遊んでいるだけではおそらく物足りなくなるはずです。遊ぶというのは大抵楽をすることであり、それを続けているとだんだん飽きてきて、結局物足りなく感じてしまうのです。ある程度の苦があり楽を感じるのです。仕事をしないニートが楽しんでいるかというと、何かに束縛された感じがあり、傍から見るとあまり楽しそうではないでしょう。仕事をして束縛されるから、解放されて自由になると楽になる、楽しく感じるのです。楽しいという言葉は結構深いですね。ずっと楽しいとそれが当たり前になって楽しくなくなるのです。なので、苦しいことがあると再び楽しさを感じられます。そうそう、感情というのは起伏があって感じるものです。怒るというのも当たり前ではなく、何からの変化に対してのリアクションです。嬉しいというのも嬉しくない状態からの変化があって感じるものです。楽しくないと感じたら、敢えて苦行をするのも全然ありだということです。確かに、ずっと楽しんでそうな人は逆に鬱になりそうな気がします。起伏があることが楽しいといえますね。
てことは、思考を加速させたり、遅くさせたりといった楽しみ方もできます。思考が遅ければ速くして楽しんで、それに飽きてきたら何も考えないでも良さそうなことをしてリラックスするのです。人生も起伏があったほうが間違いなく傍から見て面白いものになるでしょう。ということは、『起伏を意識する』ことで楽しさが生まれるかもしれません。夜になったらまた日記を書くことにしましょう。
2025年8月6日(水)
自然科学について
日記を書くのに寝る前だとばたばたしてしまう。日記を書くのはゲームを終えてからでいいでしょう。
自分は自然科学の本を読むのを日課にして、それを日記に書くことにします。プログラミングは基本的にJavaScriptを使ってやっていくことになるでしょう。もちろん朝と夜に1回ずつゲームをします。いろいろなゲームをやろうとすると精神が安定しないので、基本的に任天堂のアクションゲームをやることにします。夜に時間がなければゲームをやって日記を書いてすぐ寝ることになるでしょう。
自然科学はどんなことを書いていけばいいでしょうか。おそらく、あることについて深く書くことが望ましいでしょう。地球について、地震について、火山について、恒星について、ブラックホールについて、細胞の活動について、神経について、磁気力について、金属についてなどなどがあります。ある一つのテーマに絞って学んでアウトプットするのが良いでしょう。ということは、いろいろな本を読まずに、一つの本を集中して読むことです。あまりに移り変わると自分が何を考えればいいのかわからなくなります。一日一テーマのことしかかけないので、一つのことに集中することが大事です。なので、朝のうちに何について学ぶかを決めておくのが大事でしょう。
自然科学の中には物理学、化学、生物学、地学とありますが、それぞれ個別ではなく絡み合っています。地学の中に天文学がありますが、宇宙のはじまりは物理学が深く関わっていて、宇宙は物理法則に支配されています。地学を略さないで書くと地球科学なのですが、地球には生物も含まれています。生物というのは多くの化学反応からできているので化学と関係が深いのです。このように、どの分野も相互作用しているのです。そう考えるとどの順番で考えたらいいのかわからないかと思われますが、宇宙ができて、物理法則ができて、化学的結合をして、複雑な生物が生まれるので、地学→物理学→化学→生物学の流れで考えるのが自然の流れとなっています。
自然科学はどれも馴染みの深いものです。それでいて意外と知らないことも多く、いろいろな用語が存在し、難しく思えるでしょう。それは『違い』が生み出すもので、人は違いを認識し、記憶する能力があります。そして、物理法則は生物のような複雑な化合物を生み出すくらい緻密にできているものです。37億の細胞が連絡をとりあっていると考えると、どれだけすごいことかがわかるでしょう。『なるほど、勉強になる』を目指して毎日自然科学を学んでアウトプットしていきたいです。
2025年8月5日(火)
起死回生
この頃やばい日が続いていました。何がやばかったかというと、睡眠時間が短いことです。5時間、6時間と続いて頭が覚めない状態が長く続きました。このままでは環境に支配されてしまう、ということで、夜ノベルゲーム(エロゲ)をするのをやめたら早く寝れるようになりました。一度やると5時間抜け出せなくなるほどハマってしまうからです。このままではいけないと思い、自分の思い通りに素早くできることをしようということで、普通のゲームをやったら、1.5hで満足できました。続きが気になるものではないので、これぐらいでスパッとやめられるのです。
やはり、日々何かしら続けることが大事です。自分の場合は、ゲーム、自然科学系の読書、プログラミングになるでしょう。日記も毎日書いていきたいところです。ただ、ゲームばかりしていても日記を書くのは難しいのではないかと思われます。やはり、書くのは自然科学系のことになるでしょうか。その日考えていた自然科学のことをメモして日記に書くのが良いでしょう。
毎日決まった時間にスパッと寝てパッと起きるのが理想です。7時間丁度寝るようにしましょうか。昼にも少し寝ることにします。22時半に寝て5時半に起きるのが理想です。その時間になったら必ず寝ることを習慣付けましょうか。やることは、自分に何をさせたいかで決まります。やはり帰ったら配信を見ながらご飯を食べるのが日課で、そのあとプログラミングになるでしょうか。寝る前と仕事の合間に自然科学を読む感じでいきましょうか。朝はどうしましょうか。朝本を読むのも違う気がします。パズル雑誌をするのも違うでしょう。ぼうっとしてるのも違います。自分の一番好きなこと、ゲームをやることにしましょうか。ゲーム、プログラミング、読書、日記を習慣付けていくことにしましょうか。こんな感じで明日からやっていきます。ちなみに、今は22時15分なので、読書してから7時間の睡眠をして、ゲームをします。それでは、おやすみ。
2025年8月2日(日) 夜
想像した結果にしかならない
自分はいったいこれからどうするか、どう考えていくか、他者とどう付き合うか、どうやって稼ぐか、いろいろと考えることがあり、どう考えたらいいのかわからなくなります。しかし、一つだけ言えることがあります。自分の思った結果にしかならないということです。そこで自分が何も考えていなければ環境に支配されることになり、いつどのくらいやるかと決めていればその通りになるだけです。文章も大体これくらいの文章量をどのくらいの時間で書こうと決めたらその通りにしかなりません。今も、外を歩いてから日記を書こうと決意し、大体15分くらいで4段落分くらい書ければいいと思っていました。
結果というのは後から付いてくるものであり、自分がどういう行動をするかが大事になってきます。そこに他者を入れると不確定要素ができてしまい思い通りにはいかないでしょう。あくまで自分の行動を想像して行動することが大事です。何を作るのか思い付かないときは、実際にやったとしても何もできないことになります。それは自分の行動がちゃんと想像できていないからです。現実的に考えていく必要があるということです。
想像というか、分岐ですね。未来は枝分かれしていて、それを自分で決めることが個性にも繋がってくるのです。何も想像しないで過去に則った行動をしていたら環境に支配され、没個性の人間になるでしょう。そういう生き方も人によってはありだと思うかもしれません。自分が今ここで日記を書いている通り、自分は人と同じ場所は苦手で緊張してしまうし、マイペースにやっていけなくなってしまいます。また、ちょっとたWebゲームも作りたいので、こうして自分のサイトを持っているわけです。
予測不可能であることは、環境に支配されることになります。なので、なるべく自分で想像してやっていく必要があるのです。勉強が必要ならばやっていくべきでしょう。できないことはやらないという明確な意思も必要です。そのため、自分のことをわかっていると有利になります。自分は何だったらできるのか、現実的に理屈で考えることが自分の行動を決める決めてになるでしょう。別に何をするのも自由ですが、その後のことも、何年先も考えておくべきです。それで安心安定の生活を手にすることができるでしょう。今回も15分くらいで文章を書き終わりました。これが安定択ですね。
2025年8月2日(土) 夕
思考力低下
最近はずっとゲームをしています。やっているゲームはドンキーコングバナンザと初音ミクロジックペイントS+です。プログラミングはしていませんし、日記も書いていません。読書も疎かです。自分が楽しくて人に迷惑をかけなければいいと思いますが、どうも自分が満足できていません。なんの生産性もないからです。このままだと人に頼って生きていくことになります。誰だって人に頼って生きているのですが、その傾向が自分は強いということです。ただ、他のことをして楽しいのかと言われると怪しいです。読書よりプログラミングよりゲームをしていたほうが楽しく感じます。
文章を書くのは、おそらく誰かに文章を読んでもらうときと自分で記憶すべきことをメモするときです。こうして文章を書くのはアウトプットすることで、誰かに見てもらうために書くことになるのでしょう。自分で文章を書いて見返すことがないので、記憶するものでもありません。記憶するものならば単語で済む話です。つまりは、文章を書くときは人を楽しませることを意識すべきでしょう。マイナスなことを書くと微妙な人だなと思い他の人に移るものです。
やはり、安定して生きていくために生産は欠かせません。ゲームを作るか、文章を書くか、何かしらのモノを作るかですね。音楽も作ることができるでしょう。イラストは描く気にはなりません。モデリングはする気があります。どれか一つでも作り続けられれば安定して生きていくことが可能でしょう。ゲームが好きなので、やはりゲームを作っていくべきかもしれません。最近は文章をあまり読まなくなってきました。読んでも結局アウトプットせずに意味がないと思ってきたからです。ならば、ゲームの話をいろいろと書くべきかもしれませんね。とりあえずまた夜に日記を書きましょうか。