奥海清瀧の遊楽園→奥海清瀧日記

奥海清瀧日記

2025年5月18日(日)

これからのこと

これからのことを考えようか、という内容ではなく、これからのことを考えるのは非常に大事なことなのではないかと思ったので書いていこうとしたのです。

過去というのは不変であり変わりません。これから自分がどうするかは自由であり、たとえば、何かのゲームをしたり、新しい本を買って読んだり、あるところに出掛けたり、あるものを目指したりといろいろと想像できます。実際にその通りにできるでしょう。未来というのは改変可能なのです。生きる意味というのも間違いなく未来に存在しています。未来があるから楽しめるのです。したがって、未来を考えるというのは非常に大事なことなのです。

ここで話を終わらせては夢物語に終わるでしょう。今後自分がどうするのかを想像するだけでもしておけば、自分の理想の未来へと近付けるかもしれません。たとえば、これから生命に関してのページを作りたいと思えば、生命に関する情報を調べ、自分なりにまとめようとするでしょう。プログラミングに詳しくなりたいと思えば、その周辺のことを学ぶでしょう。あるゲームを完クリしたいと思えばそのゲームをひたすらやることになるでしょう。正直、今仕事をしながら別のことをいろいろとする未来が見えません。しかし、それはせいぜい1週間の話です。1ヶ月で一つのプログラミングを学ぶことは可能なので、数ヶ月や半年、1年を見越すといろいろとできることになります。それを鑑みてこれからのことを考えましょう。

これから何をしようか。それは先の未来へ繋がっていることが望ましいです。はたしてゲームをすることは繋がっているのでしょうか。長くできるゲームはたしかに繋がっていそうです。やはり、どうあがいてもゲームの作り方に関しては先の未来に繋がっているものです。ゲームを作ることでプログラミング言語の使い方も覚えることでしょう。何かをコントロールするというのは楽しいことです。プログラミングでモノを動かすのはC++もJavaScriptも同じことでしょう。正直、イラストを書けたり、モデリングできたりするのは非常に便利なことです。ゲームエンジンで3Dゲームを作るのも大きなものになるでしょう。ゲーム作り全般に関わっていくのが自分の未来にとって良いものになります。自分は人のいるところが好きではなく、一人が好きなので、一人でやっていくのが望ましいのです。なので、一人でいろいろとできるようになる必要があるのです。賢くやっていきましょう。

つまりはどういうことか、プログラミング、ゲーム作り、モデリング、イラスト、音楽制作といろいろやっていくのが望ましいでしょう。生命について調べて何になるかというと、新たな謎に出会ったり、頭を悩ませるだけになったり、難しく考えることになってしまいます。未来は楽しいものが望ましいので、もっと未来が楽しくなるように動いていきましょう。


2025年5月11日(日) 夜

作るとはどういうことか

人間何かしら作っていれば生きていけます。そこで、作るとはどういうことかを考えてみましょう。

作るという言葉はふんわりしていてわかりづらいものです。具体的には、車を作る、ゲームを作る、パソコンを作る、ダムを作る、イラストを描くといったものです。車は移動するための手段であり、ゲームは目的を達成するのを楽しむためのものであり、パソコンは情報を入れたり出したりするものであり、ダムは洪水にならないように水を溜めるものであり、イラストは見て楽しむためのものです。作るといった場合、何かしらの道具になるでしょう。人を便利にさせるための道具だったり、人を楽しませるための道具だったりします。

では、どうやって楽しさを作り出しているのでしょうか。ゲームもイラストも、ある結果が大事なものです。ゲームはクリアするもので、イラストは想像した結果のものです。クリアするための手段を探すのは楽しいものです。宇宙はどうやってできているかを知ることも楽しいことでしょう。ある結果にするにはどうすればいいかが楽しさを作るのに重要なものとなってきます。ただ生きていてもつまらない場合、何かしら目標があればそれに打ち込んで楽しいものとなります。ゲームの楽しさと似たようなものでしょう。たしかに、速く移動するために車を開発するのと似たようなものです。考えている時間は間違いなく楽しい時間ですね。

ということで、ある結果にするにはどうすればいいかを考えることが楽しさを作る秘訣になるでしょう。ここでは、「作るにはどうすればいいか」というのが問題になっています。これはたしかにふんわりしすぎでしょう。そもそも、なぜ作ろうと思うのでしょうか。これには、ある結果にするのが楽しいと思えるからではないでしょうか。たとえば、あるゲームを作るのが楽しかったり、あるイラストを描くのが楽しかったり、車を作るのが楽しかったりといった感じです。作ってある結果にするのが楽しいといえば、JavaScriptやC++で円を方向キーで動かせるようにするのが楽しかったりします。なんかすごいと感じるからです。衝突判定があり、敵に弾を当てると弾と敵を消すのも楽しく感じます。これはイラストのような静止したものではなく、ある状態にするにはどうすればいいかを扱ったものです。これは音楽も車も同様ですね。基本的に、自分は単純な状態の変化をやって楽しむ人間です。これは自分の想像力がないためでしょう。しかし、単純なことで楽しめるのが自分というものです。さすがらぶとらの最後のボスに100時間以上かけるだけありますね。

人によって何を作ったら楽しいのかは変わるということでしょう。自分はやはり単純路線でいくべきでしょうか。単純な変化か・・・。


2025年5月11日(日) 夕

ちょっと考える

毎回何をやるのかを悩んでしまいます。ゲームをやっている間は楽しいのですが、それだけではアウトプットすることができません。ゲームをある程度やって疲れたときはプログラミングをやりたくなったりします。しかし、大体2時間くらいやればまたゲームをやりたくなってくるのです。

まあ、考えてみると、ゲームをやって疲れたときに他のことを2時間できれば、1日の半分はゲーム以外のことができるので良いかもしれません。逆に、ゲームをやらずに1日悩んで何もしないことのほうがだめですね。楽しさには抗えないということでしょう。先程C++をやったので、またゲームをして疲れたら別のことをするという流れでやっていきましょうか。


2025年5月10日(土)

自由な思考

瞑想をしなくても頭が回るようになりたいです。疲れていても頭が回るようになりたいです。何かしらアウトプットして一人で稼げるようになりたいです。自由な思考というのは、プログラミングをしているときでもゲームをしているときでもありません。何もせずに頭の中で想像することが一番自由な思考ができるでしょう。あることに集中しては他のことが疎かになりだんだん頭が回らなくなってきます。そうならないためには、自分が今後どう行動するのかの思考や別の視点で物事を見ることが有効です。そのためには、抽象的に考え、いつでもあることに割って入れるというのが重要です。

人によってはずっと喋れる人がいます。その人がどうやって考えて喋っているのか考えたところ、同時に複数のことをふんわりと考え、ある話題に入っていき、そこから別の話題に広げていったり、たとえ話で話を繋げられるでしょう。小説をずっと書ける人というのは、同時にいろいろなことを考え、ある一つだけをアウトプットするということをしているはずです。思考がずっと明瞭になるためには、常にいろいろなことを考えるのが重要です。考えるというのは語弊があり、複数のことをイメージするといった感じです。ある映像を見るだけだと、選択肢が一つに絞られてしまい続けて物事を考えるのが難しいでしょう。ふんわりと常に全体を見て思考を回すというのが重要なのです。

自由な思考をすればなんでもできるはずです。なんでもというのは、イラストを描いたり、漫画を書いたり、ゲームを作ったり、音楽を作ったり、モデリングをしたり、小説を書いたりといったものです。実物で工作をするとなると時間がかかってしまい、現実に縛られることになるでしょう。イラストや文章などが最も早い思考をもたらします。また、本を読んで思考を膨らませるのはありでしょう。頭の中に新しいイメージが入ることによりアウトプットしやすくなるのです。やはり、文章を書きたいなら文章を読み、イラストを描きたいならイラストを見るのが最も良いでしょう。文章を読んだからといってイラストが描けるようになるわけではありません。やはり、そこにバイアスがかかってくるでsyほう。何かを作りたいとなれば、完成品や作り方をいろいろと調べ、思考を膨らませていくのが良いでしょう。そう考えると、自分の中でこれは一番だなと思ったもの関連のことを調べて作っていくというのが自分の自由を生み出すようになるのではないでしょうか。

自分の目指すべき道は『楽』な道です。そのために思考を膨らませてアウトプットしていくのは欠かせないものです。全体を見て、広く深く作っていきましょう。


2025年5月7日(水) 夜②

自分が何をしたら満足するか

今日は日記しか書いていません。ゲームをしただけでは満足しません。自分が何をしたら満足するでしょうか。

おそらく、このまま配信を見たりゲームをするだけでは自分は満足できません。何かしらアウトプットしないと気が済まないのです。サイトを更新しても見返りがないのでイマイチ楽しめないでしょう。それならば、YouTubeに動画を投稿したほうがいいです。ただ、何を投稿するかを決めなければならないのでそれが自分を焦らせます。あるのは事実だけなので、そう考えるのは無意味で、今この日記を書いているのも無意味です。

おそらく、自分の中では10分くらいの動画を毎日投稿していけば満足できると思われます。自分が喋るよりは、きりたんに喋られせるのが自分に合っています。自分が考えるのが遅いので、メモに書いたのを読むのがいいのですが、100%たどたどしくなるでしょう。それならば、文章を打ち込んでそれをきりたんに喋らせたほうが早いです。ただ、どんな動画を作っていくかが問題なのです。

何の動画を作っていけばいいのかわかりませんでした。しかし、頭が混乱してきたので外を歩いてくると、なぜ考えが浮かばないのかがわかりました。何もないものを考えようとしているからです。自分の過去からしか動画を作る材料は持ってこれません。新しいものを考えようとしても考えられないのは、先のことを考えようとしていたからです。HTML&CSSだったら、idやclassの使い方、レイアウト、ボックス、フォームについてなどしか書けないでしょう。何を作るかという先のことを考えていると空白を考えることになり何も考えられないのです。そう思うと、自分の頭はバグってたのかなあと思います。まともに考えれば、プログラミングに関しても、変数の使い方、演算子、関数、クラス、描画、アニメーション、非同期処理、簡単なゲームの作り方くらいしか書けないはずです。今まで見てきたことや、その応用しか作れないはずです。一体自分は何を考えようとしていたのでしょうか。不思議です。先に学んで、理解したら次に進めばいいだけです。作るときは過去のことを考えるのが最も早い手段だということですね。今日はもう遅いので、ゲームをしてから寝ましょうか。


2025年5月7日(水) 夜

小さなことからコツコツと

予定を立ててもその通りにできないし、やることを決めても思考がそこに囚われてしまい嫌になってきます。ただ、何もしていないと不安に駆られて何かしらしたくなってきます。予定を立てるというのは自分の中で自然なことではないので『苦』に属します。

正直、悩んでいたり嫌々やったりすると、何をやったのか記憶に残らないし、悩んだ時間が多くなり、そのぶん何もできなくなります。それならば、自然に動いたほうが良いのではないかと思うのです。自分が楽できるように動きたいものです。昼以降何をやったでしょうか。C++をやってティアキンをやってで終わっています。何か作るということはしていません。予定というか、やることには作ることが入っていたのですが、どうも何をやればいいのかわからなくなってしまっていました。予定に入っているのは嫌になってきます。なかなか面倒くさい性格をしています。

今は何をやりたいのでしょうか。おそらく、普通に考えても答えは出てきません。ちょっと今瞑想をしましょう。

見えました。「知識」です。自分は新しく何かを作るというのが無理で、知識でやっていくしかありません。「~のやり方」「~の作り方」「~とは何か」のような知識で勝負していくしかないでしょう。人を笑わせることもできません。ゲームをやる他にも、その面で攻めていくのが自分の生きる道に繋がっていくでしょう。瞑想というのは妄想であり、心を無にして自分の思考に集中して流れに身を任せることです。それにより外界の情報をシャットアウトして自分の思考に集中できるのです。これにはコツが必要でしょう。

学ぶのとアウトプットは同時にできるものです。ちょうど、ゲームで景色を見ながら動くような感じです。ただ、自分の中で嚙み砕くのが必要な場合もあるでしょう。情報を付け足すこともあるかもしれません。自分がアウトプットしたい量に調整してアウトプットするのです。短い時間のインプットならばアウトプットも短いものになります。全てをインプットしてアウトプットする必要はないのです。それがまとまっているかどうか、知りたいことが知れるのかが重要です。小出しならば、それを数回に分けてやればいいだけです。どうしても広く見てしまうと焦ってしまったり、面倒に思ってしまうことがあるでしょう。しかし、大きいものも砕けば小さくなる、その集まりで大きいものができています。大きいものの中の一部を見るということも、大きいものを理解するうえで非常に大事なことです。小さなものの積み重ねで大きなものができます。それが人生というものですね。あまり大きく見過ぎず、コツコツと小さく生きていきましょう。


2025年5月6日(火) 昼

自然科学

今日は自然と朝起きたら買い物に行き、マリオデをやり、分子生物学の本を読んでいました。ゲームをやってから、自然と生物について知りたいと思ったからです。なぜ生物学かというと、なかなかに深い分野だからです。化学は単に原子の繋がりなのですが、生物は構造体であり複雑にできています。なので知りたいと思うのです。また、一日というのは短いもので、今自然科学を学ばなければなかなかできないという理由から本を読もうと思ったのです。

ただ、文章を読んでも一字一句覚えられるわけではありません。しかし、完全に忘れると学んだ意味もありません。なので、抽象的に理解しておくことが重要なのではないでしょうか。後で続きを読むときに、前の内容を記憶しておけばより楽しめるでしょう。自分は一気に読むことができないのです。それは、ゲームをやったり動画を作るときも同じです。それだけ記憶しておくというのが重要なのでしょう。記憶がないと毎回最初からやることになってしまいます。

ちなみに、これから昼を食べます。セブンで買った冷凍のかつ煮です。自分は基本的にから揚げやかつ煮、牛丼、カレーが好きなので、大体こればっかり食べています。そうそう、忘れないように生物のことをまとめましょう。その前に、ある程度までやるというのは大事なことです。なんで大事かというと、それで一纏めになっていて、脳で整理しやすくなっているからです。中途半端は気持ち悪いものですね。

分子生物学というのは、生物を分子レベルで見た学問です。同じような学問に生化学がありますが、違いは遺伝を扱うか代謝を扱うかです。分子生物学も生化学も被っているところはありますが、少し視点が違うのです。今回学んだことをまとめると、生物は油性二重膜で囲まれた「細胞」という単位からできていて、分裂して自己増殖することが生物の特徴となっています。親の形質が子に受け継がれることを「遺伝」といいいます。生物の構成要素の中で分子量の大きいものを「生体高分子」と呼びます。生体高分子の中には、タンパク質、糖、脂質、RNA、DNAがあります。RNAとDNAの基本構造は同じで、どちらも塩基、糖、リン酸が結合した「ヌクレオチド」を基本単位としています。DNAの塩基の種類はアデニン、グアニン、チミン、シトシンで、RNAの塩基の種類はアデニン、グアニン、ウラシル、シトシンであり、DNAとRNAの違いは、糖の一部と、4種類の塩基のうち一つとなっています。DNAの違いを生み出すのは塩基の部分で、その繋がりを「塩基配列」呼びます。DNAは遺伝物質であり、二重らせん構造となって存在しています。らせんの手すりの部分が糖とリン酸が繋がったもので、足場の部分が塩基となっています。対になっているDNAは、片方が逆さまになって対になっています。生物の基本は遺伝にあるのですが、遺伝はDNAが複製されることによって起こります。複製する際は、2本鎖DNAが1本にほどかれ、その1本を鋳型としてもう1本のDNA鎖を作り、娘細胞に分配して二重らせん構造に戻すことでDNAが複製される遺伝が起こるのです。

と、こんなところでしょうか。自分は記憶力がないので、本を見ながらになりました。文章を書くのもだいぶ時間がかかりました。分子生物学というのは分子レベルで遺伝を見ることなので、遺伝について学ぶものです。これはまだ始まりであり、ざっとやったに過ぎません。遺伝の表面上をなぞるようなものでしょうか。このように、情報をまとめるというのが大事です。次に繋げていきましょう。


2025年5月5日(月) 夜

本能的に当然のこと

さて、今は20時半くらい、これからご飯を食べるために冷凍のから揚げをチンしてきたところです。どうやら、ご飯を食べようとするときに日記を書きたくなるのかもしれません。これも書こうと思って書いているわけではなく、自然な行為です。

夕方日記を書いた後ですが、何の動画を作るか考えて少し作り始めたり、ティアキンをやったり、マリオギャラクシーをやったりしていました。やはり、何を作るか考えてある程度作っていると、別のことがしたくなってきました。それでティアキンやマリギャラをしていたのです。マリギャラはWiiUでやっています。SD画質のやつですね。早くマリギャラのHDのダウンロード版を出してほしいところです。パッケージ版のマリギャラはあるのですが、カードだと面倒なのでダウンロード版として出してほしいのです。マリギャラ2もHDでやりたいところです。ていうか、マリギャラとマリギャラ2を一緒のソフトとして発売してほしいですね。

今日の流れとしては、好きなゲームをやって、疲れたら自分も何かしら作りたくなって、作っている間にまたゲームがしたくなってするという流れでした。これからの予定は、おそらく配信を見ながらパズル雑誌をするだけになるかもしれません。これからWebサイトを作りたいとか、動画を作りたいとか、ゲームを作りたいとかは思わないと思われます。というか、夜は不安に駆られてインプットだけになるのは本能的に当然のことでしょう。ちなみに、今回のタイトルは夜に不安に駆られるのは本能的に当然のことだと思ったのでつけたものです。遊んで疲れたら別のことをしたくなるというのは当然の流れ出し、夜に不安になってインプットだけに励むのは当然のことです。これが自然です。無理に考えなくても、人は自然と動くものです。これが楽というのもなのでしょう。


2025年5月5日(月) 夕

どんな動画を作るか

先程までゲームをやっていました。やっていたのは、『スーパーマリオ3Dワールド』と『バイオハザードRE:4』です。自然と自分のやりたいものをやりました。前者が1時間、後者が2時間くらいです。疲れてきたのでやめました。また、そろそろ別のことがしたいなとも思いました。他の人がいろいろと活動しているのに、自分だけしていないのはだめです。なので、自分でも活動していきたいです。自分の場合はプログラミング関連になるでしょうか。ゲーム実況では間違いなくありません。生放送も自分が喋れない人間なので無しです。その場合、動画になるでしょうか。Webサイトは自分自体ほとんど見ないので、よく見るYouTubeで活動するのが無難だと思いました。

プログラミングの説明と遊び方を動画として作ることになります。どんな動画を作ろうか悩んだので日記で自分の考えをまとめようとしていました。まとめてやると長くなり、自分がそんなに長い動画を作るのが不可能なので、小分けにして作って投稿することになるでしょう。平日は無理なので、休日にいろいろな動画を作ることになりそうです。プログラミングに限らず、「ある材料で何かを作る」ということ自体が楽しいものになりそうです。というか、結果をサムネに使えばわかりやすいので、毎回何かしらを完成させると面白そうです。

やはり、ゲームだけしていても物足りなくなります。自分はこのままではだめだと自然と思うようになってきます。自分の頭で考えたわけではないのに、この考えが出てくるのが不思議ですね。やはり自然は強しでしょう。自然というのは不思議な自体をもたらします。ふと頭に思い付くことがあるでしょう。自然の成り行きに任せれば楽に生きられるのではないかと思われます。自然に生きていきましょう。


2025年5月5日(月) 昼

自然に生きる

予定を立ててもその通りに動けません。何か考えようとしても何を考えたらいいのかわからないし、何をやったらいいのかわかりません。では、自分は何を考え、どうしたらいいのでしょうか。自分のこと、世界のこと、それを上手くまとめて考えることができません。自然の中では自分は卑小な存在です。どうやっても自然には敵わないでしょう。自分は自然の一部であり、自然の中で生物が生まれました。自然ほど超越的なものはないでしょう。自然と人はいろいろなモノを生み出してきたのです。

今は自然と日記を書いています。自然に生きていくことについて考えたいと思ったからです。そして、自然と2段落で終わらせようとしています。少し考えたいと思ったからです。先程コンビニから牛めしを買ってきて、温めてから食べるところです。食べる前に日記をちょこっと書こうと思ったので書いています。このアウトプットは自分が考えたからではなく、自然とそう思っただけです。自分が生まれるときも、自分の意思ではありません。人と話せないのも自分の意思ではなく、勝手にひどく緊張してしまうからです。パソコンを買おうとしたのもおそらく自然とそう思っただけです。自分が予定を立てても行動できないのは、そのときによって気分が違うから、それも自然なことです。自然に生きると考えなくてもいいので楽できます。今も考えずに文章を打っています。自分は楽を目指すので、考えないで自然に生きていきたいところです。「自然は最強」と覚えておきましょう。


2025年5月3日(土) 昼

現実的に考える

今は昼近くです。マカロニサラダを食べながらこの文章を書いています。

現実的に自分のやりたいことを考えてみると、どうしても電子工作やモデリング、自然科学をやっていくのは難しいと思われます。ゲーム、プログラミング、ゲーム作りだけで時間が取られてしまい他のことはできないでしょう。このように現実的に分かることですが、自分はどうも妄想癖があり、すべてやりたいと思ってしまうのです。現実的に考えるというのは非常に大事なことでしょう。

現実的に考えたら、生きるというのは単なる維持です。情報を体内に溜めるだけ、ただそれだけです。多様というのは単なるエラーや維持のために必要なものでしかありません。多様性というのは維持によるオマケでしかないのです。新しいものを求めるというのは、情報を取り込もうとしているだけです。そんな簡単なことなのです。現実的に考えたら悩みも解決できるのです。

現実的に考えて、自分は何をしているでしょうか。ゲームとプログラミングが好きなただのオタクでしかないでしょう。自然科学をやる暇はないはずです。ましてはモデリングもしていません。ただ、動画とかサイトの更新とかはしていそうなイメージです。毎日新しいことをやるというのは自分の頭が混乱しそうなのでできないことでしょう。今日は何を作ろうと考えたりはしそうですが、ゲーム作りから何のイラストを描こうとはならないはずです。3Dは複雑そうなので自分はやっていないイメージです。そこは企業に任せるといった感じでしょうか。自分は飽きやすいので、次々いろいろと作りそうなイメージがあります。やはり、時間によって何をやるかは重要になってくるでしょう。朝はやはり起きてからゲームとC++の流れは欠かせないかもしれません。イメージ的には夕方からゲームエンジンで本格的なゲームを作り始めるイメージがあります。となると、昼はPythonやJavaScriptで遊んだりしているのでしょうか。夕方にゲームエンジンを使うとなると、Webサイトの更新や動画作りは昼の後半の部となるでしょうか。夜は配信を見たりパズル雑誌をしたりゲームをしたりでリラックスしたいところですね。そう考えると、他のことはできなさそうに見えます。このように現実的に考えると自分が何をするのかが見えてきます。これは妄想ではありません。現実的に生きていきましょう。現実に疲れたらちょっと妄想をして楽しみましょうか。


2025年5月2日(金)

思考が安定しない→妄想と現実の違い

自分は何をするべきでしょうか。自分は何者なのでしょうか。何を考えたらいいのでしょうか。どう生きていくべきでしょうか。思考がまとめらず、すべてがごっちゃになっています。多分特定の何かばかり考えてはいけません。そうすると、思考が狭まってきたり、飽きたりしてしまいます。それで自分は新しい方面を見たりするのです。

宇宙、地球、小説、イラスト、漫画、本、コンピュータ、生物、人間、化学、物理、未来、工学、社会、自分、ものづくり、コンピュータ、プログラミング、モデリング、ゲーム開発、アプリ開発、Webサイト、ゲーム、経済、形、色、波、思考、情報、サーバー、人間関係、多くのもの、考えること、やれることは非常に多くあります。この中で中にを限定できるでしょうか。今まで自分はパズル雑誌、小説、ゲーム、漫画、車、会社、コンピュータ、プログラミング、モデリング、ゲーム作り、音楽作り、読書といろいろやってきました。しかし、どれかに限定することはできませんでした。自分は一体何者で、何をしたらいいでしょうか。

こういうのは人に聞くべきではないし、聞いても、自分の好きなことをしろ、プログラミングだけでも充分だ、ゲームが好きならゲームを作ったらいいんじゃないか、と思われるかもしれません。また、早く安定した仕事に就けとも言われるかもしれません。しかし、自分は飽きやすく、仕事中は仕事以外のことを考えたいので、工場くらいしかできないでしょう。工場は大体単調なので、他のいろいろなことを考えられるのが特徴です。対人は緊張で上手く物事が考えられないので、本能的に絶対なしです。

今まで思考が安定しなかったのなら、今後も安定しないでしょう。安定したいという自分の思考に対しても不安定になります。これなかなか深そうなことですね。今Webサイトを作りたいかといったら作りたくなく、モデリングしたいかと聞かれたらやりたくなく、ゲームをしたいかと聞かれたらやる気分じゃないとなり、本を読みたいかといえば頭にはいってこないから読まないとなります。では、ゲームを作りたいかといえば、たしかに今はそんな気分かもしれません。配信を見ても、パズル雑誌をするのも今はありです。ただ、配信をずっと見ていると疲れてくるし、パズル雑誌をずっとしていても物足りなくなってきます。そう思うと、自分が怖ろしいですね。そういえば、恐ろしいというのが一般的な恐ろしさで、怖ろしいというのが自分の感情的な怖ろしさだって知ってました?

思考が安定しない人間が人と付き合えるはずがありません。というか、人と話していると面倒になってきます。それは誰に対してもそうです。話しかけられるのも話しかけるのも好きではありません。そんな人間か怪しいやつが自分です。これは心の底から思っている本音です。仕方ないですね。ただ、実際には表面にあまり出さないようにしているだけです。人の話はつまらないというのが自分の定式となっています。こうして文章を書いていると、自分が面倒になってきました。安定させようとしても絶対に安定できないように自分はできています。おそらく、高校生からそれは変わらないことなのでしょう。これが自分の性格、性質なのです。こうして書いているとまるで病んでいるようですが、これはもはやいつものことです。これが自分の中の元気なのでしょうか。文章も捗ります(笑)。(笑)と書くのはうざいですね。これは嘲笑的な意味で、自分に対してのものなので気にしないでください。

この状態を解決するのは、やはり自分にとって「物理的に考える」というものですね。思考が安定しないというのはどんな状態なのでしょうか。思考の安定している状態を考えてみると、毎日同じことをできることです。人というのは日々違うことをしているので、思考が完全に安定しているという状況は考えにくいです。安定しないというのは複数の方向に向くということです。一つのゲームをやり始めたらクリアまでやる、一つの本を読み始めたら最後まで読む、日々サイトを更新するというのは安定している状態ですね。これをするにはどうすればいいでしょうか。たしかに、自分は集中力がそんなにない人間なのかもしれません。では、どうして集中力がないのでしょうか。途中で別のことを考えてしまうからでしょうか。ある一つの方向に向いていた思考が、徐々に分散してきて別の方向に向いて、飽きてきてしまい、また別のことをやるという流れになっているのでしょう。

そもそも、なぜ自分は安定したいと思うのでしょうか。安定して一人で仕事をして、毎日同じようなことをやっていきたいと思っています。安定というのはいわば「楽」な状態であり、自分の目指す道となっています。誰でも不安定になりたいとは思っていないでしょう。鬱になりたくてなる、事故に遭いたくて遭う、病気になりたくてなるわけではありません。外的要因や内的要因により不安定になってしまうのです。安定するにはどうすればいいかといったら、毎日ものづくりをする、というのがベストでしょう。身の回りには多くのモノで溢れています。創作も大量に存在しています。仕事では、たしかにものづくり関連のことをしているし、世界の人々のほとんどがものづくりに関わっているでしょう。自分の思考はおそらく何かに限定してしまっているから不安定だと感じてしまうのでしょう。もっと自分は抽象的に考えるべきです。

限定しない思考とはなんでしょうか。正直、制限をかけないというのは頭の中でしかできません。現実はできることに制限があります。なんでもできるわけではないのです。これは自分の妄想だったということになりますね。自分で自分を縛っていたということです。おそらく、自分にとって思考の自由さ、考える時間が必要だったのかもしれません。頭の中でならなんでもできます。絵は書けなくても頭の中で想像できるし、それがモデリングした結果でもあるし、頭の中でゲームも作ることができます。実際には3Dゲームを作るのはちゃんとしたものだと個人では難しいものです。頭の中では多くのオブジェクトを生み出すことができるでしょう。これが妄想と現実の違いです。自分は妄想癖があったということです。ならば、個人的に妄想して楽しむのが一番自由な時間だといえるでしょう。ちょいちょいそれを挟めば自分は満足できるのかもしれません。

これで答えはでましたね。思考が安定しないという事態は、現実と妄想の違いの差から生まれるものです。これは文章にしてゆっくりと考えなければわからなかったことです。おそらく、なぜ思考が安定しないのかわからなかった人が多いのではないでしょうか。なかなかに深い問題でしたね。自己満足。結局は、現実を見ろ、という話でしたね。しかし、脳は現実よりも多くのものを想像できるし、脳のほうが現実よりも早く考えることができます。これが妄想と現実の差を生み出してしまうのです。そうなると、人間だから仕方がない、ということになりますね。これを悩んでしまい鬱になる人もいるかもしれませんね。現実というのは脳の一部でしかありません。現実はそれだけゆっくりで固いのです。だから人は創作をするのでしょう。とりあえず、「妄想と現実は違う」ということを頭に入れておきましょうか。


2025年5月1日(木) 夜

ゲームが楽しくない

夕方になればゲームがしたくなる、と思っていました。しかし、実際にやってみると楽しくなく、謎の閉塞感がありました。昼はある一つのことだけを学ぶことで安定ですが、夕方はまだ安定していないということでしょう。たしかに、前も夕方にゲームをやろうとしたら、閉塞感がありなかなか楽しくならないという事態に陥りました。思考が正常に働いていない状態です。朝だと楽しく感じるのですが、夕方は怪しくなってきます。どうしたら安定まで持っていけるのでしょうか。

この問題の解明には、これまでの自分を振り返る必要があります。たしかに、思い返してみると、夕方は本を読んでも頭に入ってきません。朝は本を読むと面白く感じるのですが、夕方に怪しくなるのです。では、どうすればいいでしょうか。今思い返してみると、動画作りに集中しているときが時間が進むのが早く感じました。何かを学ぶというより、ものづくり寄りですね。既にあるものを使って何かをやるのが一番頭に優しいものなのでしょう。

時間帯によって自分の楽しいと思うことが違うというのが非常に不思議です。これはいったいどういうことでしょうか。昔の人間を考えてみると、朝に情報収集、ものづくりをして、夜は安定させたり、安静にする、振り返ることをしていたのでしょう。なので、朝や昼は情報を得たり冒険する脳ができていて、夜は振り返ったり安静にしたりするようにできているのでしょう。これは本能的な部分です。雑談、そう、雑談みたいに考えるということを自分はしていません。その雑談的なものが動画作りやWebサイト作りに繋がっていくのでしょう。ということは、やはり夕方からはゲームをやらずに、動画やWebサイトを作っていったほうが脳に良い、楽しいというか、思考が安定するということでしょう。考えてみると、夜に楽しいと感じられるかというと、何も行動ができないのでどちらかというと不安に駆られたり、真剣になったりするでしょう。夜は楽しむというより、どうやったら安定するかを考えるほうが良さそうです。

ということで、まとめると、夜は既にあるものを使って楽しもうということです。新しい情報を仕入れようとしても脳が楽しく感じないので、雑談のようにいろいろと振り返るのが無難なのです。たしかに、考えてみると、自分はプログラミングでゲームが作れるので、それをやっていくのもありでしょう。ただ、新しく学ぶのは夜だと楽しくないので、既にできることをやって楽しむことになります。そう考えると、朝にゲームをやって、夜は既にある材料で作って楽しむというのが無難な生き方なのかもしれません。


2025年5月1日(木) 昼

楽しく生きるには→学ぶこと

楽しく生きるにはどうすればいいでしょうか。今日は午前にゲームとC++をやっていました。C++をやるときは音楽を聴きながらやっています。それで楽しめました。おそらく、午前中にゲームとC++をやるというのは安定です。毎日それでも楽しむことができそうです。午後一にゲームをやって、飽きてから次に何をしようかと考えても、何をしたら楽しいのかよくわからなくなってしまいました。個人的には、何かしら作ることが有効だと思われます。それにのめり込んで悩みを無くす感じですね。そして、おそらく夕方に再度ゲームがやりたくなるはずです。これは習慣的にです。

正直、どうやっても一部だけ学んでいたら気持ちが悪いものです。完全にオリジナルのものを作るとなると、いままでのように考えても思い付かず、悩んで苦しんで終わってしまいます。頭の中では、「情報をまとめる」というのが思い浮かびます。これは自分を飽きさせないようにするものです。最も簡単な方法は、「一つの本を読んで、その情報をまとめる」というものです。あれやこれやと目を向けると中途半端に終わって気持ちよくなれません。楽に生きるには一つのことに集中するのが良いでしょう。

人生を豊かにするには、「学び」が一番有効でしょう。もしかしたら、これに関しては何でも良いかもしれません。その知識に深くなることで、自分の考える材料になり、頭が回るようになるはずです。知ることを楽しむのも一つの楽の形です。おそらく、一度学び始めると長くなること必至でしょう。夜までかかるかもしれません。というか、夕方からは安定してゲームをやりたくなるはずなので、その時間まで取り組むようにしましょう。それは、昼、12時までC++に取り組むというのと同じ思考です。目安があるとやる気もでます。ゲームをやっている間だけは自由にやりたいものです。

今日はどんなテーマにしましょうか。自分の興味のあることで深く学ぶことが理想です。あ、そうだ、Pythonでつくるゲーム開発を振り返ることにしましょう。自分のプログラミングの原点です。これをやると長くなり、やはり夕方までやることになるかもしれません。では、また夜に。