2025年4月30日(水) 夕
楽しさを求めて
サイトを更新するのは楽しいことでしょうか。別に共有したいとも思っていないので、おそらくこれは楽しくないことでしょう。半ば義務感があります。自然科学の本を読むのは楽しいことでしょうか。これは自分を高く見積もりすぎていて、考えなければならないという制約からやっていることなので楽しいかといえばそうでもなさそうです。モデリングが楽しいかといえば、間違いなく面倒なことに入ります。これはイラストを描くのもそうです。プログラミングが楽しいかといえば、学びたい人がいそうだな、自由にできるということでやっているだけです。これも自分を高く見積りすぎています。ちょっと厳しいところがあるでしょう。
さて、どうやったら楽しく生きられるでしょうか。人がどうのこうのいうより、自分が楽しくなければ生きている意味もなく、何も行動すらできません。何か報酬があることで自分という人間が動くようになるのです。楽しさというのは過去から類推されるものです。ゲームが楽しかったからゲームをする、配信を見て面白かったから配信を見る、パズル雑誌が楽しかったらパズル雑誌をする、といった感じです。自然科学や電子工作は自分を高く見積りすぎています。楽しさよりも苦しさのほうが大きいかもしれません。メモリについて学ぶことと同じですね。
あれもこれもと考えていたら上手く脳が機能しません。楽しさは限定したほうが良いでしょう。Webサイトを作ること、モデリングをすることは自分の中では楽しくないことに属しています。ゲームを作るというのも何を作るか思い付かないので苦しいことです。そうなると、やはり自分が過去にやってことの中で楽しさを見つけたほうが無難です。さて、自分は何が楽しかったでしょうか。まず、ゲームは間違いなく楽しいものです。配信を見るのも間違いなく楽しいです。パズル雑誌も間違いありません。歌うのも気分転換になりスッキリします。プログラミングをやっていて楽しかったかというと、考えることばかりで、何を作ったらいいのかわからなくて、どちらかというと苦行に属します。それは今までも自分からわかります。自分はきちんと過去の自分と向き合っていなかったということです。
ここに文章を書いているというのは自分にとって自然なことで、頭の中の情報をまとめるのが面白いと考えているのでしょう。もし面白くなければこの日記を書いていないはずです。まあ、でも、プログラミングでブロック崩し、簡単なシューティング、簡単なアクションを作るのは楽しいものです。複雑なものを作ろうとすると何も考えられなくなるのです。今一度、自分が何をやったら楽しかったのか考え、それに沿って動いていきましょう。
2025年4月29日(火) 夜
何もしなかった→このあとの予定
何もしていないまま夕方になってしまいました。具体的には過去の生配信を見ていたのですが、それはゲームをするよりも無意味なことです。作ろう作ろうと思っても、何を作ろうかと考えているだけで時間が過ぎてしまい、結局何も作れていません。そんな馬鹿が自分です。客観的に見ると、ただ一日ぼうっと過ごしているだけです。それならばまだゲームをしていたほうがマシでしょう。
自分という人間は、予定を立てなければ動けない人間です。何をしようか悩んでいると、自然と配信を見たりゲームをし始めてしまい、結局何もやらずに終わります。ということで、必ず予定を立てることが非常に大事なのです。その通りにやらなくても、何をするのか目安になって、思考がある程度収束するので、ある行動を起こしやすくなるのです。ということで、もう朝から一日が決まってしまうことになります。
ちょっと今から予定を立てましょう。そうですね、あることをすると決まっていると、思考が限定されてしまうので、ある程度はフワッとしていたほうがいいですね。
予定決まりました。今日はもう時間がないので、ティアキンをやって、JavaScriptをやって、配信を見ながらご飯を食べたりパズル雑誌をして、バイオをやって、生命について学び、寝ようかと思います。寝る時間が0時半で、起きるのが7時半となっています。明日は朝カラに行ってきます。ようは、明日の朝から予定を立てていろいろとしよう、ということですね。がんばりんご。
2025年4月29日(火) 朝
どうなれば楽しいか
朝起きてからティアキンをやっていました。というより、朝起きてからのティアキンは休日の日課です。やったはいいのですが、始めは楽しくなかったです。なぜかと考えても難しい問題です。そのときに、「脊髄を使う」ということを意識したらだんだん楽しくなってきました。楽しくないときは前頭葉を使っているからです。楽しさを感じるのは脳の中枢で本能的な部分で、それを前頭葉で制御してしまうと楽しくなくなるのでしょう。なぜ楽しくないのかわからないのは、前頭葉で考えてしまっているからです。その場合は脊髄で動いたら楽しくなるのです。そして、このことは全人類に当て嵌まることです。楽しさは考えるのではなく感じるものです。何も考えなくても楽しさは感じられるのです。
それは置いておいて、今回は社会がどうなれば楽しくなるかを考えていきたいと思います。自分一人が楽しんでいたのでは仕事にならないからです。仕事をしたほうが効率良く生きることができるのです。
正直なところ、一つのものだけでは世の中楽しくなりません。音楽、ゲーム、パズル雑誌、あることについてまとめた本、イラスト、動画や生配信などがあることで楽しくなるのです。特定の何かではなく、それらすべてが楽しくする要因となります。また、人の作ったモノも、多くなればそれだけ楽しくなるでしょう。となると、世の中を楽しくするには、それらすべてを作っていくことが理想でしょう。
見たり使ったりするほうは簡単ですが、作るとなると全てにおいて時間がかかります。そう考えると、全部作るのは厳しいでしょう。自分は何をするのが良いでしょうか。音楽やゲームを作ったり、情報をまとめたりといったことはできそうです。イラストや動画もとなると時間的にちょっと厳しいかなと思われます。全部作るとなると、どうしても苦行しか思い浮かびません。楽に生きるには何かしら作るものを絞ったほうが良いでしょう。
ということで、自分はどんな音楽が楽しいか、どんなゲームが楽しいか、どんな情報があったら楽しいかを考えて過ごすことになります。プログラミングも一つの情報に属します。客観的に想像していきましょう。
2025年4月28日(月)
自分を客観的に見ること
さて、自分を客観的に見ると何をしているでしょうか。やはりゲームは欠かさずやっています。ちゃんとクリアまでやっていますね。プログラミングはたしかにやっています。ただ、それだけでは客観的に見てやっているのか怪しいので、やはり自分のサイトにやった軌跡を残しておくのが理想です。これで、自分の他者もプログラミングで遊べることになります。
考えるか考えないか、前頭葉を使うか脊髄を使うかはこの際関係ありません。はたから見ると全くどうでもいいことです。ただ、何かしらしていればいい、自分の場合ゲームやプログラミングや読書をしていればいいのです。そこで何を考えたかは関係ありません。ただあるのは「事実」のみです。
自分を客観的に見ることで、自分にとっても人にとってもプラスになります。主観的だと自分の思考に囚われてしまい、上手く物事が考えられなくなります。なので客観性が必要なのです。
自分を客観的に見た場合、「あれ?何もしてなくね?」となります。X(旧:Twitter)も使っていませんし、サイトも更新しておらず、動画もありません。この人は一人で閉じ籠っているなと思うだけです。これは客観的に見るとほぼ何もしていないことと同じです。生きるのに効率が悪いのは言うまでもありませんね。
自分を客観的に見ると、工場で働いていないし、日記も毎日書いています。これは理想と現実の違いです。それで自分の脳が混乱したり、何も考えられなくなったりするのです。今頭の中にあるのは自分の日記です。それはいろいろとしていたほうが書けるでしょう。今日は~するといった予定を複数立てておけば日記を書きやすくなります。一度楽なほうへ向かうと思考が停止し帰ってこれなくなるときがあるので、事前の予定が大事だという話でした。ちなみに、今は前頭葉を使うこと、脊髄だけを使うことを意識していません。意識するのは客観的自分であり、客観的に見た日記です。客観的自分は文章を書き、客観的に見た日記はある程度の文章量を書いています。それは一つの結果です。今はその結果に向けて機械的に動いているだけです。これは楽ですね。客観的に見れば考えることを意識しなくても、自然とその結果が導かれるわけです。
客観的に見る自分というのは「社会の中での自分」です。他の人も自分も客観的に見れば「社会の中でも自分」が映るはずです。人と一緒に働いている姿だったり、何かを研究していたり、買い物に行ったり、趣味に励んだりといった姿が浮かぶことでしょう。そうして、その結果になるように人は自然と行動するのです。自分の考えはオマケであり、単にその結果になるように動くだけです。何も難しくありませんね。楽に生きるために自分は「自分を客観的に見る」ということをするのです。ちなみに、今は客観的に日記を見て、日記の最後にまとめを書いていたので、自然とまとめていただけです。特に考えて文章を打っているわけではありません。これが「自然の生き方」なのでしょう。
2025年4月27日(日)②
どんな文章が面白いか
日記を書いていくうえで、面白ければ面白いほど良いでしょう。ただ、創作ではないので、自分の思ったことを書いていくだけになります。今回も純粋に脊髄だけでどんな文章にすると面白いのかを考えていきましょう。
Webサイトを作るときも、どんなサイトが面白いかを考えることになります。ゲームをしているときに思ったのですが、ゲーム以外のことを考えてしまうと楽しくなくなるという法則があります。なので、基本的にやること以外のことは考えないほうが楽しめるのです。今も、どんな文章が面白いかというテーマだけ考えることが楽しむポイントとなります。
たとえば、今日の天気や物理現象を書いたところで楽しくありません。イラストを描いたり、新しいゲームをやったりすると書くことがあるでしょう。しかし、そこから話が広げられるかといったら自分は微妙なところです。ということは、あるテーマについて深く考えるということが無難なのではないでしょうか。
宇宙というテーマで文章を書いたり、生物というテーマだったり、胃というテーマだったり、グリア細胞というテーマについて深く書くと良い文章かもしれません。それって今日あったことじゃないんじゃないでしょうか。そうです。今日あったことについて書いてもつまらなくて見る気も失せます。ならば、地震や鉱物といったテーマで調べながら文章を書いたほうが見る方が楽しめるのではないでしょうか。自分のやったことは1段落か2段落で充分です。それは浅いので、もっと違ったテーマについて調べて書くのが楽しい文章なはずです。よし、それでいきましょう。
ただ、日記としてあるテーマについて書くとすると、長いと見る気が失せます。程良い長さが良いでしょう。あるテーマの中のあるテーマといった細かい見方をすると多くのテーマで楽しい文章を書けるかもしれません。では、今は何の時間でしょうか。うん、浅いですね。この文章の書き方は前頭葉を使わずに脊髄を使って書いてます。たしかに何も考えなくていいので楽っちゃ楽ですね。脊髄だけでもあるテーマのことを書き写して書くだけなので簡単です。前頭葉を使おうとするから難しいのです。では、また。
2025年4月27日(日)
自分が面白いと思ったことしかできない
世の中には面倒なことが多いです。それが仕事になったりします。~をやりたいという計画を立てても、それが自分が面白いと感じることでなければ面倒になってやらなくなります。人は結局楽なほうへ向かう生き物ということでしょう。
自分がどうやって考えるのかすら悩んでいました。正直、今も考えるのが面倒です。先程風呂に入ってきましたが、鬱気味になっていました。上手く物事が考えられません。考えたとしても行動に移せないでしょう。それは考えなくても同じです。考えるのが面倒ならば、何も考えずに思ったことをそのまま文章に書くしかないでしょう。それこそ脊髄を使うのです。前頭葉を使うより、脳の中枢を使ったほうが楽しめるはずです。それこそ何も考えずに楽しみたいところです。ゲームをやっている間に他のことを考えてしまうから楽しめないのでしょう。もっと脳の中枢を刺激していったほうが良いということでしょうか。
文章はいつも書く量が大体決まっているのでそこまで書きます。何も考えないということは純粋に反射神経だけ使うことになります。たしかに、自分の前頭葉はかなりぐちゃぐちゃで修復不可能です。それならば、一度全部ほどいたほうが話が早いでしょう。なので何にも考えないで文章を書くのです。
文章というのはどうやって湧いてくるのでしょうか。おそらく、タイトルに関連したことを書いていくのが無難でしょう。面白いと感じるのは本能的な部分です。純粋にそこに向かっていけば面白さが継続されるはずです。では、何が障害になっているのでしょうか。頭の中にいろいろとあることが障害になっています。すべてのモノを一から作ろうとすると膨大な情報量になるし、実際には使えないものが多いのです。それを考えるのは無駄な時間のはずです。そうですね、考えてみると「純粋さ」が欠けています。あることについて深く追究すると深いところまでいけます。それを手前だけ見て、ハイ次となるので情報量が無駄に増えていくことになるのです。もっと自分は純粋であるべきです。いろいろな方面を見すぎです。
面白いことを考えるとき、自分が過去にやってきたことを思い浮かべます。プログラミングで衝突させることが楽しかったり、パズル雑誌をやるのが楽しかったり、アクションゲームをやるのが楽しかったりといった感じです。それを拡張していけば面白さは長続きするはずなのです。面白さに貪欲であれ、純粋に生きろということですね。それをモットーにして生きていきたいです。ちなみにこれは前頭葉をあまり使わないように意識して書いた文章となります。
2025年4月26日(土)
楽しいとは何か→自分の生き方
楽しいとは何でしょうか。ゲームをしていてもなかなか楽しいと感じないときがあります。外をずっと歩いていても鬱なのが完全に治るわけではありません。休養で何もしていなくても楽しくは感じません。子供の頃はゲームがめちゃくちゃ楽しかった記憶があるのですが、今は普通です。人生にマンネリしてきたのでしょうか。
楽しいというのは新しいことをやるときでしょう。しかし、新しいことをやっても飽きてきます。新しいゲームを買ったとしても、前のゲームのほうが面白ければそちらに移ります。また、ゲームばかりやっていたのでは生きていくことができません。人を楽にしなければならないのです。
自分がつまらないと感じるゲームでも人が楽しんでいたりします。人と自分の感性は違うということです。つまり、自分がつまらないゲームを作ったとしても、人が楽しめる可能性があるのです。不思議なものですね。自分はいったい何を求めているのでしょうか。なんだか、今も頭が重いです。もしかしたら、ちゃんと本を読んでいないから頭が働かないのかもしれません。配信を見ていると思考が停止して他のことが手につかなくなり、ゲームをした後は何をしようとあまり考えられなくなります。そうなると、読書をした後が頭が働いているときなのです。
そういえば、適度に運動すれば頭が働くかもしれません。仕事中は一人でぶらぶらと歩くことはないので、ちょっと外を歩いてリフレッシュしてもいいかもしれません。今からちょっと町内を一周してきます。
今外を歩いてきました。頭がさっぱりしますね。人工物に囲まれるより、外を歩いたほうが頭が自然に働くようです。頭が働かないと感じたら外を歩くか寝るようにしましょう。
答えは、真っ直ぐに生きることです。いろいろなほうを向こうとするから物事が考えられず、何かをするのも億劫になってしまうのです。一目からして、こいつは不安定な人間だと思われるだけです。ある目的に対して真っ直ぐに進むことが、自分にとっても人にとっても良いものになります。
では、自分は何をするかです。やはり、自由度の高さを目指すのならプログラミングです。プログラミングで画面上のものや外部装置を制御することを主にやっていけないいのです。人は間違いなくそれを自分に望んでいるはずです。生物とか物理とか音楽とか言っていたら逆にイライラされそうです。お前はプログラミングだけやってろ、と言われることでしょう。ただ、ゲームも自由度が高いのでやっていきます。結局、楽しさとは「ある目的を達成させること」なのでしょう。それが複数あると弱くなります。自分は真っ直ぐ強く生きたいので、やはりプログラミングを主にやる人間にするとしましょうか。
2025年4月20日(日)
目的の達成が楽しい
中途半端だとなんだかもやもやします。ゲームだと目的をすぐに達成できたりするのですが、現実だとわからないことが多く、非常にもやもやします。ゲームの中ではすぐに楽しめるのに、現実はなかなかそうもいきません。だからゲームが楽しいのです。
もし目的の達成が楽しいのだとしたら、今はある程度の文章量を書くのを達成できれば楽しめることになります。目安があり、必ずできるとわかっているから楽しめるのです。難しい問題ならばなかなか達成できずにもやもやすることになるでしょう。いくらか簡単なほうがいいということです。
目的の達成には多くのものが関わってきたりします。それが結構深いですね。文章を書くのにもいろいろな言葉を使ったりします。サイトを作るといった場合には、開発環境を構築したり、サーバーを借りたり、ファイルに内容を書かなければなりません。どんなサイトにするかも考えなければならないでしょう。YouTubeの登録者を増やすことも、いろいろなことをしなければならないのは明白です。楽しいということがそう単純ではないということですね。たしかに、自分は普段ティアキンをやっていますが、あれは非常に多くの要素が敷き詰められたものです。あれくらいのレベルじゃないと心から楽しいとは思わないでしょう。
最近は生命についても考えています。DNA、RNA、タンパク質がループするシステムでないと生命は成り立ちません。複雑なシステムで一つの生命ができているのです。しかも、いつどこでなんのタンパク質を生成するかもDNAに刻み込まれています。それは非常に多くの情報が存在していることでしょう。脳の情報も複雑で、1000億のニューロンそれぞれに数万のシナプスが存在し、相互にやりとりすることで複雑な思考をしています。感情は100種類の神経伝達物質が生み出しています。一つ一つ理解するというのは非常に大変なことであり、まだ生命に関してはわかっていないことが多くあります。それは難しい問題なので、簡単なゲームをやりたいと思うのでしょう。
たしかに、ある程度の文章を書くと満足できます。やりきった感、達成感がありますね。ゲームをクリアしたようなものです。ただ、個人的に問題なのは、「本を読むのに時間がかかる」ということです。自分は一つのことに集中できず、途中で眠くなってしまいます。そうなると、中途半端に終わってしまうでしょう。ゲームならば区切りがあるのでやった感があります。考えてみると、「小さな目的をいくつも達成すること」が楽しさを繋げていくことになるのではないでしょうか。本を読むときも、最初からあるページまで読むと決めていれば、やりきった感があります。これでもやもやしないで済むでしょう。ということで、「小さな目的を達成する」ということを意識して楽しんでいきましょうか(今も小さな目的を達成しました)。
2025年4月19日(土)
好きなことをやる
今更ですが、自分の好きなことは何でしょうか。
自分が好きなのは、ゲーム、プログラミング、自然科学、パズル雑誌です。配信を見るのが好きかというと、どちらかといえば暇潰しです。工学が好きかと聞かれると、面白いとは思いますが、自然科学ほどではありません。工学ではいくらでも複雑なものが作れるので、自分には難しく感じてしまいます。選択肢があるのも困りようですね。モデリングやWebサイトを作ること、ゲームを作ることが好きかというとそうでもありません。自分のしたいことには入っていますが、好きかと言われるとそうでもないものばかりです。やらなければという強迫観念に駆られているだけですね。
日記を書くのが好きかと言われると、趣味の一つですね。ちょっと書いておこうと思えばパッと書けるものなの、スムーズにできるのが気持ちよかったりします。できれば、好きなことをやって稼いでいきたいところです。この中で稼げそうなものといったら、プログラミングくらいしかないかもしれません。自然科学は創作とは違うものなので、ついてくる人はなかなかいないでしょう。マニアックなものになりますね。自分の好きなことについて考えて文章を書いて売れればいいのですが、どうもそれでは難しそうな感じがします。上手くプログラミングや自然科学で稼ぐやり方を探さなければならないでしょう。それについてずっと書いていけばあるいはといったところでしょうか。とりあえず明日から始めてみましょうか。
2025年4月13日(日)
汎用的なプログラム
自分は安定を目指していて、休日に安定できるように、午前にティアキンとアプリ開発、午後5時までWeb開発、午後5時以降ゲーム開発とバイオをやろうとしていました。しかしながら、どうもゲーム開発となると頭を悩ませるばかりで何もできません。今までやったことは、サイトを作るか動画を作るかくらいです。オリジナルのゲームは作れた試しがありません。今までできなかったのなら、今後もできることはなく、考えるだけ無駄な時間を浪費してしまうことになるでしょう。そこで、午後5時以降は動画制作とバイオにすることにしました。
動画の内容を考えていたのですが、やはり面白いものが良いです。それも、プログラミング関連のものです。そうなると、プログラムで何かしら作って、その作り方を動画化すればいいでしょう。そこで、先程までマス目を塗るプログラムを作っていました。意外と複雑でしたね。これは動画化する価値があります。作った後も自分で楽しめるというのが結構大きいです。このように、「汎用的なプログラムを作る」というのを自分は目指したほうが良いのではないでしょうか。
たとえば、色を選択してマスを塗れるようにしたり、そこに機能をいろいろと追加していったり、クイズを作ったりといった感じです。汎用的なものといったら、アクションゲームで動きを作るようなものでしょうか。マップの管理も汎用的なものです。汎用的とは、そこから派生しやすいものになるでしょう。ツールも立派なプログラムです。そこらへんはいろいろと自分なりに考えてみる必要があるでしょう。自分の想像力次第か・・・。
2025年4月12日(土)
楽しいものを作る
楽しいことをずっとしていても飽きてきたり楽しくなかったりします。ちなみに、文章を書く意味は、やはり「考えること」だと思われます。自分なりの答えを出すことで自分なりの楽しさを見出しているから休日に日記を書いているのでしょう。
やはり、何か「物足りない」という現象は起こるものです。ずっとゲームをしたり、本を読んでいても、このままではいけないな、と思い何も手につかなくなります。人の作った作品を見ていても、なんかこれじゃない感がします。正直、自分がゼルダの伝説やバイオハザード、3Dマリオ以外のゲームを楽しめる気がしません。どうも自分の中でこれじゃない感があるのです。それはいくつもの要素が集まったもので、一概にこれが好きと言えるものではありません。楽しいゲームがなければ自分で作り、楽しい音楽がなければ自分で作り、良いイラストがなければ自分で描き、といったことが「作ること」に繋がります。
楽しいものというのはおそらく単調なものではないでしょう。そんな作品ならば自分は見ません。生物学や物理学、コンピュータ、機械工学などのような複雑なものが楽しめるはずです。ただ、そのまま学んでも、なかなか自分の中でまとめて消化することができません。そこは自分の楽しいようにまとめるのが一番です。自分で作り、あれでもないこれでもないと思考錯誤することで、自分の最も好きなものが出来上がるはずです。その作ったものは人と共有できるので、売れるものになるかもしれません。「どうしたら楽しくなるのか」が自分にとっての課題です。
2025年4月6日(日)
何も考えないでいたい
自分のサイトを更新するか、アプリを作るか、ゲームエンジンを使ってゲームを作るか、プログラミングするか、モデリングするか、工学を勉強するか、自然科学を学ぶか、コンピュータについて詳しくなるか、といろいろ考えると面倒で、何かをすると何かができなくなります。時間は有限です。正直、何も考えずに楽しみたいです。日記も何も考えずに書きたいです。その場合、5分で済ませることもありそうです。ただ思ったことを日記に書くだけです。
何かを作らなければと考えることは楽しいのかといったら、面倒なことばかりです。ゲームを作ろうにも何も思い浮かびませんし、絵を描こうとも思いません。正直、ゲームと読書だけで生きていきたいです。そうそう、ゲームをして頭を空っぽにした後に本を読むと、意外と気持ちいいものです。ずっとこのループをしていれば自分は満足かもしれません。ただ、仕事という人のために働かなければならないという制約があるので、自分のことばかりしてもいられません。どうしましょうか。
あ、今思ったのですが、自分のやりたいことでなくてもいいですね。人が好きそうなことをすればいいだけです。ただ、自分のことではないので好き好んでやることではないです。なので、休日に4時間くらい人のために使うのが良いかもしれません。そんな簡単なことなのです。自分のためと人のためをごっちゃにしてはいけません。たしかに、完全に人のためだと「効率が良い」のです。そのほうが社会の役に立てるでしょう。自分は難しく考えすぎというか、頭が固いのです。とりあえずそのことは休日に考えることにして、今は自分の好き勝手にやりましょう。
2025年4月5日
疑問を書くこと
日記を書くときに、自分はどうしても訪問者数のことを気にしてしまいます。それを気にすると日記を書けなくなってしまいます。そうではなく、「毎日日記を書く」ということを自分の目標にしたほうが自分が成長できるでしょう。人の目を気にしていたら何もできません。誰にも見られていないことを承知で、自分なりに文章を書いていくのが自分の成長に繋がるはずです。それはどんなものを作るときでもそうでしょう。
自分がふと気になったことを書いてみましょうか。配信者で、単調なことをやっていてもずっと喋り続けられる人がいます。自分にはそんなにいろいろと考えることは不可能です。いったいどうやって話題を続けているのでしょうか。その人は5時間くらい同じようなことを続けても喋っていられるのです。日常のこととかゲームに関連したこととかの話題でいろいろと喋っているのです。自分は一つのことからいろいろと考えるのが難しい人間です。なので、人と話せないのです。ただ、同じようなことを続けている配信はすごいと思いますが、自分は20分くらいで飽きて別のチャンネルを見るか別のことをし始めます。自分がそうなりたいかというと、たしかにそうでもないですね。
考え方としては、自分が日常のことについて話を広げたり、日記のことについて書いたりといった感じになるでしょう。ある一つの物事について雑談していればそれなりの文章量を書けるようになります。日記を書くとしたらどんなことが有意義なのでしょうか。ニュースについてはつまらないことばかりなので書きません。そうですね、たとえば、宇宙の外側がどうなっているかとか、宇宙空間には何があるのかとか、モノがどうやってつくられているのかとか、地震とは何かとか、そんな感じのことが文章として有意義なものになるでしょう。今日の日記は有意義とはいえませんね。有意義というのは、「人が疑問に思っていること」「人が知らないこと」を書くことをいうのでしょう。つまりは、「自分が疑問に思っていること」を調べて書いていけば有意義な文章を書けるといいうことです。
世の中は難しいことばかりです。あることについて調べようと思ったら非常に長い文章を読むこともあるでしょう。逆に単純なことはなかなかないですね。ただ、思考を広げられればそれでいいでしょう。人によってどうやって解釈していくかが大事なのではないでしょうか。